大学教員といえば、一般には「知的」「人格者」といったイメージを持たれるかもしれません。しかし、現場に長くいると、ときに「この人、教壇に立ってて本当に大丈夫?」と疑いたくなるような教員に出会うことがあります。

これまでにも「自己愛性パーソナリティ」の大学教員の特徴について取り上げてきましたが、要するに、「人として普通のコミュニケーションができない」人が、なぜか教育や研究の中枢に長く居座ってしまっている現実があります。これは最近に始まった話ではなく、大学業界の“構造的欠陥”ともいえる問題です。

 

もちろん、すべての大学教員が問題を抱えているわけではありません。むしろ、学生をはじめとする後進の成長を真摯に願い、親身に指導してくれる先生は多く存在します。問題なのは、「ごく一部のヤバい教員」が強い権力を握ってしまうと、組織全体に深刻な悪影響を及ぼしかねないという点です。

 

なぜ、こういった教員が放置されてしまうのか?

問題は、「ヤバイ教員」がいても、それを正す仕組みが非常に弱い、という点です。

具体的には以下のようなものが挙げられます。

大学の閉鎖性・縦社会:下の立場の者が自分より上の教員を批判するのは難しく、「見て見ぬふり」が横行。

業績至上主義:論文が出ていれば多少の人格的問題は黙認される傾向があり、教育より研究成果が優先されがち。

学生の声が届かない:アンケートなどがあっても、改善に結びつかない仕組みの大学が多い(文科省に提出する大学評価の基準を満たすためだけに、形式的にアンケートを取っているにすぎない)。

 

少子化が進む現在、子どもを大学に送り出す保護者が大学に求める期待や基準は、これまで以上に高くなっているはずです。そうした中で、一部の“ヤバい”大学教員の存在が学部や学科の評判を損ない、最悪の場合、その存続すら危うくする恐れがあります。

 

最後に、とても共感する動画を見つけたので、ここで紹介したいと思います。

 

 

 

 

似たような状況に心当たりのある大学教員の方もいるのではないでしょうか。
大学という場が、教育と研究の場として健全であり続けるために、私たちは「ヤバイ人」を「仕方ない」で済ませるのではなく、きちんと向き合い、声を上げていく必要があります。

以前、大学における隠れハラスメント教員の一例を挙げました。ハラスメント気質のある教員も実は毎年数回、ハラスメントの講習会を受けています。今回はそんな彼らの講習会での態度と、ハラスメント行為が表面化しない理由について掘り下げてみたいと思います。

 

ハラスメント教員にとってのハラスメント講習会とは?

年に数回行われるハラスメント講習会は、大学教員にとって義務付けられた行事です。すべての教員が受講することが求められていますが、その内容が実際にどれだけ浸透しているのでしょうか?

ハラスメント講習会の内容は、基本的には他大学で起きた実例などを取り上げ、ハラスメント行為を防ぐための意識改革を促すものです。しかし現実には、ハラスメント気質のある教員ほど、「また講習会?」といった態度で、「自分には関係ない」と思い込んでいることが常態化しています。

ハラスメント教員の問題は、大学の閉鎖的な環境と結びついており、一朝一夕に解決できるものではありません。

 

表面化しない理由

「隠れハラスメント」を含め、ハラスメント教員の存在が後を経たない背景には、大学という特異な環境があります。

教授と学生、または教授と若手教員との間には厳然たる上下関係があり、被害を受けた側(学生や若手教員)は報復や評価への影響を恐れ、声を上げにくい状況に置かれています。また、大学に設置されているハラスメント相談窓口に相談しても、話は聞いてくれますが、本格的に戦う姿勢で申し立てをしない限り、「様子見」として問題が棚上げされるケースも少なくありません。相談したらハラスメント教員に天罰が下るだろう、はありません。被害者にとっては、相談したことで情報が漏洩し、加害者側に知られるのではないか、という不安がよぎることもあるでしょう。また、匿名での訴えや相談は、ほぼ無意味と言って過言ではありません。


このような状況下で、ハラスメント教員が自分の行動を改める機会はほとんどなく、問題が学内で繰り返されます。彼らは、仮に指摘や注意を受けても、それを他人事と捉え、自らの行動を顧みることがありません。結果、被害を受けた学生や若手教員がモチベーションを失い、最悪の場合には学業やキャリアを断念せざるを得ない状況に追い込まれることさえあります。学生にとっては研究室を変えたり、若手教員にとっては大学の異動を考えたりすることは、自身のキャリアと健康を守るためには必要です。それは「逃げ」ではなく「前進」です。

 

 

大学という場は、学びと成長を促す安全な環境でなければなりません。
隠れたハラスメントは、その安全性を脅かす行為です。これからの若手教員や、アカデミアを目指す若い方々がこうした問題に気づき、将来的に変革を起こす一助になれば幸いです。

大学教育や研究環境は、時代とともに進化しています。しかし、長年の経験を持つ年配教授の中には、こうした変化に対応しきれない人も少なくありません。今回は昭和~平成中期にかけて若い時代を過ごした年配教授にありがちなケースを掘り下げていきます。

 

世代間で大きく異なる点は何か?

年配教授が大学教員として活躍を始めた2000年代初頭あたりまでは、以下のような環境が一般的でした。

  • 博士号が必須でない時代:そもそも大学まで進学する人が少ない時代で、助手(今の助教)になる際に博士号がいらない場合も多く、修士号や実務経験のみで教員になれた時代がありました。
  • 縁故的な採用:大学の指導教員の推薦や内部昇進が一般的で、採用基準が現在ほど厳密ではありませんでした。
  • 研究環境の自由度:現在ほど厳格な研究成果の評価が求められなかったため、自分のペースで研究を進められた教員が多くいました。

一方、2000年代初頭以降の教員採用の基準は以下の通りです。

  • 博士号の必要性:採用段階で博士号がほぼ必須となり、競争が激化。
  • 成果主義の導入:研究費の獲得や論文の発表数が厳しく評価されるようになり、成果を出さなければポジションを維持できない環境も多い。
  • 教育の重視:学生の多様化や進学率の上昇に伴い、教育者としてのスキルも重要視されるようになりました。

 

加えて、2000年代初頭以前に採用された現在の年配教員は、比較的長期的な視野かつ高い自由度で研究を進めることができました。しかし、今では大学の法人化や研究評価制度の導入などが行われ、研究や教育の「見える化」が進みました。この過程で、大学教員に対して明確な実績(博士号、査読付き論文の発表、教育経験など)が求められるようになりました。2000年代初頭以降に採用された教員は、厳しい成果主義の中でキャリアを築いてきました。その背景には、研究費の獲得や論文発表数の達成を求められるプレッシャーがあります。このため、彼らは「効率的に成果を上げること」や「現実的な計画の立案」を重視する傾向があります。

したがって、「大学教員」とひと口に言っても、20代から60代までの幅広い世代が存在し、これまで経験してきたプロセスが若手と年配の間で大きく異なることが分かるでしょう。このような世代間の考え方の違いが、特に立場の弱い若い世代にストレスを与える原因となることがあります。

 

 

年配教授の中には、経験豊富で学生にとって大いに学びのある存在もいます。しかし、それが実現するのは、彼らが時代の変化を受け入れ、新しい視点を取り入れる努力をした場合に限られます。

もしも、年配教授が変化を拒み、学生や若手教員の提案を否定し続けるのであれば、研究室は閉鎖的で停滞した空間となってしまいます。

学生や若手教員にとっては、教授を反面教師とする視点を持つことも重要です。もし自分の指導教員や上司が変化を拒むタイプであれば、その人の行動を客観視し、適切な対応策を考えるスキルを養うべきでしょう。

自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の特徴を持つ人間が権力を持つと、職場環境は悲惨なものになります。

特に大学という閉鎖的な組織で、NPD教員(NPD教授)が周囲に与える影響は深刻です。研究室をはじめ、学科内の雰囲気は悪化し、組織全体が徐々に崩壊していきます。今回は、NPD教授の典型的な行動とその影響、研究室や大学組織の末路について考察したいと思います。

 

ターゲットを孤立させる噂と悪口の嵐

自己愛性パーソナリティ障害(NPD)に特有の行動の一つは、特定の人物をターゲットにし、その人物の評判を意図的に貶める噂や悪口を広めることです。大学という環境において、NPD教授のターゲットにされるのは同じ研究室の准教授、講師・助教の先生が大半です。例えば、「あの人は研究力がない」「学生指導がまともに出来ない」「講義の評判はイマイチ」といった話を、他の教授陣はもちろん、学生にも吹聴します。

このような情報操作の目的は、単なる嫌がらせにとどまりません。NPD教員はターゲットを孤立させることで、職場内での自身の支配力を強め、周囲を自分に従わせる環境を作り出そうとします。

特にNPDが研究室のボス(教授)の場合、ターゲット以外の教員や学生たちは、「次は自分が標的にされるかもしれない」と恐れ、何もアクションを起こせなくなります。その結果、ターゲットとなった人物はますます孤立を深め、いわゆる「スケープゴート」の状態に陥ってしまいます

 

「見て見ぬふり」の心理が組織を蝕む

上述の如く、NPDが権力を握る環境では、周囲の人々が「見て見ぬふり」をすることが少なくありません。これは、ターゲットがいることで自分が攻撃の対象にならずに済むという心理が働くためです。しかし、このような態度は、ターゲットの孤立を一層深刻にし、研究室内はもちろん、職場全体の信頼関係を低下させます。

「スケープゴートの存在」と「NPD教授に恐れ従う周囲の人たち」という構図は、組織全体の倫理観を徐々に蝕んでいきます。権力を持ってしまったNPDの自己中心的な行動により、本来協力し合うべき研究室が、対立や不信感に支配された環境へと変貌してしまいます。

 

 

NPDの人間が権力を持つと、組織にどのような破壊的な影響をもたらすかを理解することは重要です。その影響を防ぐためには、問題の早期発見と適切な対応が欠かせません。特に、周囲の良識ある人々(教員はもちろん学生も)が「見て見ぬふり」をやめ、組織全体で健全な環境を取り戻すための行動を起こすことが求められます

本記事を通じて、NPD教員が持つ問題の本質と、その深刻さについて考えるきっかけになれば幸いです。

 

大学の研究室では、教員と学生が密接に関わる場面が多くあります。しかし、関係性のバランスが崩れると、不健全な状況が生まれることもあります。本記事では、強かな女子学生に巧みに操られ、自身の行動が研究室全体に悪影響を及ぼしている男性教授の実態を掘り下げます。

 

女子学生の巧みな手腕と教授の「人気者」幻想
一部の女子学生は、人間関係を築くのが非常に上手で、教授の心理を巧みに利用する能力に長けています。特に、男性教授の深層心理をくすぐり、自分にとって有利な状況を作り出すことに長けた学生もいます。

こうした女子学生にとって、教授を道具として利用することは手段の一つに過ぎません。一方、教授はその意図に気付かず、「自分は学生に好かれている」「頼られている」と勘違いしてしまいます。
この関係性は、周囲から見ると滑稽でさえあります。研究室の他の学生や教員はその様子を冷ややかに見ているにもかかわらず、教授本人はその状況に気付きません。

 

特定の学生に対する「特別待遇」がもたらす弊害
問題は、こうした偏った関係性が研究室全体の雰囲気に悪影響を及ぼすことです。たとえば、教授が研究費や教室費を使い国内外の学会に特定の学生ばかりを連れて行く場合、当然、他の学生は不信感を抱きます。普通の感性の持ち主なら、「もしかして変に思われてる?」と気付くところですが、ダメな教授ほどその受容体がなく盲目です。

こうした行動は研究室のパフォーマンスを低下させ、他の学生のやる気を奪う要因になります。さらに、研究室内に不平等感を生み、やる気のある学生を遠ざけることにもつながります。長期的には、研究室全体の成果が下がってしまい、研究室運営としては完全に失敗しています。

 

 

「あたり前」であるはずの公平性が、識者である教授自身に理解されていないことが少なくありません。特に、表立って大きな問題に発展するわけではない場合、事態の深刻さが見過ごされやすいです。しかし、研究室という狭い世界での些細な偏りや贔屓は、日常の雰囲気を徐々に悪化させ、周囲の人々にとってストレスや不満の種となります。

最大の問題点は、次世代を担う教育者や研究者に悪い影響を与えることです。「この程度の贔屓や不公平は許される」という誤ったメッセージが、未来のアカデミアに引き継がれてしまう危険性をはらんでいます。

学生にとって「楽単」と呼ばれる授業が人気を集めることは珍しくありません。履修するだけで高評価や単位が簡単に得られるこれらの授業は、学生にとって一見「お得」に感じられます。しかし、楽単授業を売りにする教授の存在は、大学教育の本質を損ねる深刻な問題をはらんでいます。今回は、楽単教授の背景とその問題点を掘り下げていきます。

 

楽単授業が生まれる背景、見過ごされる教育の放棄
楽単授業は、学生の間で高い評判を得るため、大学内で問題視されることが少ない傾向にあります。学生たちは、授業が簡単であればあるほど負担が少なく、成績も取りやすいと歓迎します。その結果、楽単授業を行う教授は、受講生数が増加し、大学内で「人気教授」として位置付けられることがあります。そして教授本人もそれを心のよりどころにしています。

大学の運営上、教務部や他の教員が特定の科目の難易度や内容に干渉することは難しい現実があります。講義内容や評価基準の裁量は、基本的に担当教員に委ねられており、チェック体制が不十分な場合、楽単授業が常態化してしまいます。これにより、学生が本来得るべき教育の機会が失われ、教授自身も教育者としての責任を果たしていないという深刻な状況が生まれています。

 

学生が気づかない弊害
楽単授業は、一見すると学生にとって得られるものが多いように感じられます。しかし、実際には教育の放棄に他なりません。大学は、専門知識やスキルを身に付け、社会で活躍する人材を育成する場です。その重要な役割を担う教授が、学問的な厳しさや意義を削り、単位を簡単に与えることは、学生の成長の機会を奪う行為と言えます。

楽単授業の教授は、表面的な人気を得る一方で、学生が学費を支払うことで期待する「十分な教育の対価」を示していません。一方、本来あるべき授業を提供する教授ほど、授業の内容や評価基準が厳しいため、学生から敬遠されることが多いのも現状です。努力を重視し、教育の質を守ろうとする教員ほど苦しい立場に置かれているのは、大学教育の深刻な矛盾と言えます。学生が楽さを求める気持ちは分かります。しかし、将来的にそれが自分にとって損であることに気付くべきです。学費を支払っている以上、受け取るべきは「成長の機会」です。

 

 

楽単授業に飛びつくのではなく、充実した学びを得られる授業を選び、未来の自分のために真剣に学ぶ姿勢が大切です。また、教員自身も「人気」ではなく「教育の質」に目を向けるべきです。楽単教授の存在は、大学教育が抱える問題を象徴しています。この問題を乗り越えるために、大学教育のあり方について今一度問い直す必要があるのではないでしょうか。

現状、どの大学もアンケート方式で授業評価を行っているかと思います。しかし、それでは楽単教授の評価が上がるばかり。教員の評価基準を見直す仕組みの導入が求められます。

大学の研究室は、学問を深めると同時に人格的な成長を促す場であるべきです。しかし、嫉妬や自己顕示欲に支配された教授がいると、その環境は一変します。今回は、過去の栄光にしがみつき、他人を否定することで自尊心を保つダメ教授の実態について掘り下げたいと思います。

 

過去の栄光にしがみつく教授、真実か虚偽か?

一部の教授は、学生の知らない過去の「偉業」を強調することで、自身の権威を保とうとします。
「これを発見したのは自分だ」といった話をゼミや日常会話で繰り返し語ることが特徴です。しかし、これらの話が真実かどうかは定かではなく、時には誇張や虚偽の可能性もあります。

問題は、これが単なる自慢話で終わらず、他人を否定する手段として利用されることです。特に同じ分野で活躍する研究者に対し、「浅い」「無価値」といった批判を繰り返します。これは、教授自身が研究に自信を持てず、嫉妬心に駆られていることの表れと言えるでしょう。

 

ダメ教授に対して学生が異常に気を遣う関係性

こうした教授は、研究室内でも自慢話や他人の悪口を会話に織り交ぜることが多く、学生たちは表面的に話を合わせることを余儀なくされます。学生の多くは、教授の話に共感しているわけではなく、卒業や修了のためにやむを得ず付き合っているだけです。このような関係性は非常に薄っぺらく、真の信頼に基づいていません。

さらに、教授の言動に不満を持ちながらも反論できない環境が続くと、学生の精神的な負担は増す一方です。教授が自分の意に沿わない態度を取られると不機嫌になるため、学生は一種の「ご機嫌取り」を強いられることになります。結果として、教授よりも学生の方が精神的に成熟している状況が生まれます。

 

小さな行動が大きな変化を生む
他人をけなす会話が常態化し、それが教育に悪影響を及ぼしていると感じても、多くの人は黙ってやり過ごしがちです。しかし、そうした問題を見過ごすことは、結果的に悪い環境を助長してしまいます。

嫉妬に駆られた教授の存在は、大学教育の質を下げる要因です。もし問題を感じたら、勇気を持って信頼できる教員や事務に相談し、一歩を踏み出してみてください。声を上げることで、同じように悩みを抱えていた人たちが共感し、環境改善のきっかけにつながります。言いたくても言い出せなかった人たちは大勢いるはずです。小さな行動の積み重ねが、やがて大きな変化を生み出します。その一歩が、未来のより良い教育環境を築く原動力になります。

自己愛性パーソナリティ障害(NPD)を持つ人物は、どの職場にも一定数存在しますが、中でも、大学という環境ではその特徴が特に目立つようです。

博士号や役職による権威を背景に、NPD教員は自分を「特別な存在である」と勘違いしやすく、人間関係や職務の中で特異な行動を取ります。その結果、周囲に深刻な影響を及ぼし、ときに被害者が孤立する原因となっています。本ブログが、皆様の「気付き」に繋がれば幸いです。

 

「誰もが気持ちよく働ける職場環境」を理解できないNPDの大学教員

NPD教員の行動原理は、まさに「自己愛」と「異常な承認欲求」に基づいており、必然的に「損得勘定」が強く働くことになります。自分にとって得だと感じる相手には過剰な媚びを売り、逆に利益がないと判断した相手には横柄な態度や、そっけない態度を取ることが日常的に見られます。

彼らは他者に対する共感が著しく欠如しており、ライバルの評判を落とすことに罪悪感を持ちません。「あの人はねぇ...」とか「みんな困ってるんです...」といった口調で周囲の人間関係を巧妙に操作しようとする様子は、いわゆる「マニピュレーター(潜在的攻撃性パーソナリティ)」そのものです。

彼らは真正面から努力して上を目指すのではなく、ターゲットをおとしめることで相対的に自分の立場を上げようとし、それによって自身の承認欲求を満たそうとします。

さらに、自身の振る舞いのせいで悪くなった学科内・研究室内の雰囲気に対して、NPD教員は全く無自覚です。周りの空気を読めないという点では、発達障害と共通する部分もあります。彼らには状況を改善しようという意識や努力は一切みられません。

 

NPD教授はNPDの部下と惹かれ合う

NPD傾向を持つ教授は、自分への称賛を求めるあまり、あからさまに媚びを売る人物(同じNPDの特性を持つ部下)を大事にします。NPDの部下も、損得勘定で動くため、彼らの関係はまさに「ウィンウィン」の状態になります。

NPD教授とNPD部下の間で、このような相互作用が続くと、まるで化学反応を起こしたかのように相乗的な暴走が始まります。次第に周囲の人々が手に負えない状況に陥り、学部・学科全体の健全性が失われ、優秀な教員の他大学への流出につながっていきます。

NPDの人物が権力を握れば、組織が壊滅的な状況に陥る可能性は決して誇張ではありません。長年かけて築き上げた組織が、一人の人間によって潰れます。この問題に切り込める第三者の目が必要です。

 

自己愛性パーソナリティ障害(NPD)への理解を深める重要性

まずは「敵を知る」ことが重要です。幸いなことに、NPD教員は男女問わず驚くほど似た行動パターンを示すため、NPDという概念を理解していれば、NPD教員を見分けるのは容易です(始めての方は是非過去のブログを参照なさってください)。

爬虫類の顔? 自己愛性パーソナリティ障害のヤバイ教授が示す特徴

 

自己愛性パーソナリティ障害のヤバイ教授

 

NPDについての認識は、一般的に依然として低いのが現状です。知識がないままだと、被害者は「この人は性格が悪い、自己中心的だ」としか感じられず、異常な行動の本質に気づくことができません。そのため、問題を共有したり相談したりすることができず、孤立してしまうこともあり得ます。最悪の場合、ストレスが原因で深刻な健康被害が生じることもあります。

NPDの人には常識が通じず、周囲が注意しても改善されるものではありません。しかし、障害という認識を持つことで、「相手は治らない病気である」と理解でき、こちらの心持ちも変わるでしょう。

 

実際、NPDは一生治らない精神疾患の1つです。その原因は主に幼少期の養育環境に起因するという説もありますが、詳細な原因は依然として不明です。

ちなみに、定年退職を迎えたNPDの人々は、一般社会にうまく適応できず、孤独な晩年を過ごすそうです。特に「教授」という肩書きと権力を失ったNPD教授の末路を想像すると、ある意味で胸が痛みます。在職中に好き勝手に振る舞ったのだから、その代償として受けるべき罰とも言えますが。

 

大学の構造的な弱点

大学という組織は、上下関係が明確で、外部の監視が届きにくい構造を持っています。さらに、大学事務員は教員に対してあまり口出しできない雰囲気があり、仮に相談を受けても問題に対して適切な対応を取ることが難しい場合がほとんどです。良識のある周囲の人々も声を上げることができず、問題が放置されがちです。

 


こうした環境を変えるためには、NPDに関する認知を広めることが何よりも重要であると考えます

これまでに数回にわたり、大学におけるNPD問題についてブログで取り上げてきました。NPD教員の行動を客観的に見つめ、「これ、おかしいですよね?」と声を上げる後押しをできればと思っています。このような行動が、問題解決への第一歩となることを願っています。

 

 

過去のブログ「自己愛性パーソナリティ障害のヤバイ教授」では、たくさんのアクセスをいただき、この問題に大なり小なり関わっている方が多いのではないかと感じました。そこで、今回はこの問題をさらに深掘りし、自己愛性パーソナリティ障害を持つ教授に共通する行動パターンや外見の特徴について詳しく触れていきたいと思います。

 

自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の教授の特徴を改めて整理
NPDの人は、共通する行動パターンが見られます。以下に挙げる特徴のうち、当てはまる項目が多ければ多いほど、NPDの傾向が強い教授であると考えられます。


自分の意見を絶対視する
教授自身の考えが唯一無二の正解であるかのような発言を繰り返します。研究内容について他人から建設的な意見があっても、NPD教授はそれを自分への批判と捉え、意見した人は今後の攻撃対象にリストアップされてしまいます。

 

他者をおとしめる噂を流す
自分の優位性を保つために、学部内・学科内の教員の評価を下げる噂を流します。ターゲットになるのは、研究力があったり、学生からの評判がいい教員であり、ターゲットにされた人は、自分の知らないところで人間関係の崩壊に導かれます。

 

嫉妬深さが異常
NPD教授は、自分が他者に負けていると感じると、異常な嫉妬心を表に出します。この嫉妬は、研究力や学生からの人気など、さまざまな側面に向けられます。嫉妬の対象者が決まると、すぐに情報操作や悪い噂を流すことで、ターゲットの評判の落としにかかります。

 

恩を売っているような言い方や口癖
NPD教授は他人に何かを「してあげている」という考えが強く、それゆえに自分への賞賛という見返りがないと「あいつは恩知らず」という考えに至ります。年度末が近付くと、研究室の卒業生らが自分に「恩を感じていない」などと勝手に思い込み、結果、卒業式などの節目の場でも機嫌を損ね、「卒業式には出ない、謝恩会には行かない」といった子供じみた発言をして周囲を困惑させます。学生の方が大人な対応をしてその場をしのぐことになります。

論文ゼミでは内容の批判ばかり
研究室内で行われる論文紹介や議論の場では、論文を執筆した研究グループの批判ばかりを繰り広げ、自分の優越性を示そうとします。特にその論文内容が自分の見解と異なると「こんな論文がよく査読を通ったなぁ」などと発言し、真摯に他者の実験データを解釈しようとしません。


有名研究者との関係を誇張し、嘘をつく
学生が直接確認できないような有名研究者や外国人研究者との繋がりを引き合いに出し、自分の価値を高めようとします。しかし、その関係性が実際にどれほど深いかは疑わしく、自分の価値を高めるためなら平気で噓をつきます。

 

誇大妄想的な言動

NPD教授は、研究において根拠を示さずに「本当は自分が最初に発見していた」「以前から予見していたデータだ」「自分だけが取り組んでいる特別な研究領域」といった主張を学生に行い、自分の価値を強調します。時には、他の研究グループに対して「アイデアを盗まれた」「我々の真似事ばかり」「新規性がない」と非難することもあります。

 

学歴や資格、職歴を曖昧に誇張

自分の価値を高めるために、いわゆるグレーに盛って経歴を話します。何も知らない学生は騙せますが、ある程度経験を積んだ教員は不信感を持つきっかけとなります。

 

どこまでが本当で、どこからが嘘なのか分かりづらい

NPD教授の言葉は、事実と虚偽の境界が曖昧で、周囲はその信憑性に困惑します。自己主張や承認欲求を満たすために意図的に、かつ、巧妙に歪められていることが多いため、彼らの言うことが本当かどうかを見極めるのは非常に困難です。


自身に対する態度が成績の評価基準
学生や若手教員の能力や成果ではなく、自分への態度や称賛の程度を基準に評価を下します。この結果、ゴマをする人だけが贔屓されるという不公平が生じます。NPD教授の周りには、その恩恵にあやかりたいNPDの若手教員や学生が集まってくるという負のスパイラルが起こり得ます。

 

深い付き合いをしていない人には「いい人」に見える

NPD教授は周囲からの評価を意識するため、見知らぬ人や大勢の前では穏やかです。しかし、研究室学生や若手教員など、立場の弱い人の前では本性を現し、モラハラ全開になります。

 

いちいち会話に首を突っ込む

NPD教授は、やり手の若手教員などの動向に異常なまでにアンテナを張っています。誰かが自分の存在を脅かす可能性があると察知すると、その人の会話にすぐさま首を突っ込んできます。

冷徹な視線でターゲットを威圧する
意に沿わない人物や状況に直面すると、冷徹な表情で相手を見つめ、心理的な威圧感を与えます(詳細は以下)。

 

 

外見や行動に現れる特徴
NPD教授は、外見や仕草にもその特徴が現れます。特に「目の動き」や「顔つき」に特徴があります。

獲物を狙うような「爬虫類の目」
普段は穏やかで愛想の良い顔を見せますが、自分が不快に感じる状況になると目の動きが一変します。その鋭い視線は、「爬虫類が獲物を狙う表情」と例えられることが多く、相手に冷たさや恐怖を感じさせます。

般若のお面のような顔つき
特定の状況でスイッチが入ったように顔全体が緊張し、険しい表情に変わります。特に、他者に対する怒りや嫉妬が露わになる瞬間、この表情が顕著に現れます。

 

NPD教授の行動は、権力を利用した自己顕示や他者支配に集中しており、その結果、研究室内の公平性が失われ、健全なコミュニケーションが妨げられます。この状況は、学びと研究の場であるべき研究室を、むしろ緊張と不信感の漂う空間に変えてしまいます。

 

NPD教授は、「自分が絶対的存在である」という幻想に囚われ、社会的ステータスがそれを助長するため、自身の人格障害に気づくことはありません。そのため、自己改善や医療機関の受診に至るケースは皆無と言っていいでしょう。

 

重要なのは、NPD教授が周囲を疲弊させ、深刻なストレスが被害として現れる前に、第三者が介入し、問題を食い止めることです。研究室という閉ざされた空間では、被害者である学生や若手教員が声を上げるのは容易ではありません。特に、NPDという概念やその問題性を知らなければ、被害者自身に”気づき”がなく、置かれた状況を「仕方のないこと」「ただの不運」と片付けてしまい、孤立感を深める恐れがあります

 

そのため、教育機関全体で具体的な事例を共有し、「自己愛性パーソナリティ障害」への理解を広め、被害者の気づきを促すことが重要だと考えます。

こうした取り組みが、研究室の健全な環境を守り、学問と教育の場としての本来の機能を回復させることにつながるのではないでしょうか。

 

「大学教授」という肩書きと社会的地位は、自己愛性パーソナリティ障害(NPD)を持つ人物にとって理想的な環境を提供します。外部の人には、一見親しみやすい態度を見せるため、表面化しずらいことが特徴です。しかし、研究室内では全く異なる顔を見せます。今回は、そんなNPD教授を掘り下げていきます。

 

外づらは「いい教授」、しかし研究室内では…
NPD(自己愛性パーソナリティ障害)を持つ教授は、外部からの評価を非常に気にするため、表向きは「いい人」を演じる傾向があります。しかし、研究室内では状況が一変します。NPD教授にとって研究室は、自身の権力を発揮する舞台であり、学生や若手教員はその引き立て役として扱われがち。NPD教授は気分屋でもあるため、教授に言いたいことがあっても、「逆らえば単位を落とされるのではないか」「研究費を使わせてもらえなくなるかもしれない」といった不安から、誰も声を上げられない状況が続きます。
NPD教授は、自身を「絶対的な存在」として位置づけない限り満足しません。研究室は自分の城であると勘違いし、このため、自然とアカハラやパワハラ、モラハラが横行しやすい土壌が築かれます。他人からの意見や指摘は、本人への「攻撃」と感じ、過剰に相手を敵対視します。NPD教授の行動に誰も物申せない空気が、研究室の学生や若手教員の萎縮を助長し、それが教授のNPDをさらに悪化させるという負のスパイラルを生んでしまいます。研究室内外の落差が激しいNPD教授の存在は、教室員にとって大きなストレスとなり、学びや研究の環境を著しく損なう原因になっています。

NPD教授にとって、同じ分野のライバル研究者は脅威そのもの
NPD教授は自分の存在を脅かすものに敏感で、そのためにライバルの評価を下げ、陰で足を引っ張る行動に出ます。これらの行動は、自身の内面にある不安や自信のなさから来ており、特に周囲の誰かが自分を超える可能性を感じた際に一層顕著になります。

特に標的になりやすいのが、同じ研究室に所属する若手教員や優秀な学生です。いわゆる若手は、教育や研究の経験では教授に及ばないものの、新しい解析技術を使いこなしたり、最新の情報収集に長けていることが多いです。一方で、年配の教授はこうした技術や情報の習得を苦手とすることが少なくありません。そのため、NPD教授は「自分が知らないこと」を若手が知っている状況に直面すると、自らの立場が脅かされると感じ、攻撃の矛先を向けることになります

このような状況は、研究室内での健全な協力関係を阻害し、若手教員や優秀な学生がキャリアを伸ばす機会を奪う結果につながりかねません。NPD教授の行動は、個人だけでなく研究室全体の発展を停滞させるリスクを孕んでいます。

 

自覚のない「障害」が研究室を蝕む
どこからがNPDか、という明確な基準は難しいです。しかし、身近で関わりを持つ人たちの不満レベルが1つの指標でしょう。NPD教授は、その状態が実は「心の病気」であるにも関わらず、自分の問題を認識していません。NPDは、自己中心的な行動や感情、他者を見下す態度が特徴であり、周囲との摩擦や混乱を引き起こしても、それを他者の責任として片付けてしまう傾向があります。そのため、本人は自分がNPDだと気付かず、心理療法やカウンセリングを受ける機会は皆無と言っていいでしょう。最も深刻なのは、NPD教授に振り回される被害者にとって解決の糸口が見えない事です。この状態が続く限り、NPD教授は暴走を続け、周囲の人々(特に学生や若手教員)に深刻なストレスや被害を与え続けることになります。

 

 

教育現場において、このような教授が指導を行うことは、組織全体に悪影響を及ぼし、さらには学問的な進展を妨げる結果となりかねません。特に大学という閉じた環境では、こうした問題が長期間放置されるケースが多く、最終的には研究室から優秀な人材が去る原因になります。この「障害」を適切に理解し、対応できるシステムの整備が求められます。