蓮の家

蓮の家

「不思議な巫女」

会話弾ませ心解き放ちお手伝いへと導きたいとおもいます。


ありがとう

役に立つ」というと、人の役に立つかなと話していたこの子は。

だが、神は、焼くだけだと放つ。

やくにたつとは、役になり、その位置にたつこと。

すなわち、約束だ。

幸せを運ぶ船は、スタートして帰ってくるだけの船だけなのよ。

はこぶねは、運ぶ船のことを言う。

雰囲気はすごいな~と思ったが、運ぶ船だ。

はこぶねなればいい。

ジェット機でもいい。

精神的に不安よりはきはきしているほうが物語がよかったりする。

好きだから人ははきはきが。

感情がない理由は、計画していないことがわかる。

神秘に感じるのは、神秘だからだ。

変化のない美しさ。

す~としてす~っとする。

それだけだ。

 



不安のない生き物は不思議だと言われる。

感情もなければおんもない。

幸せな愛があればいい。

 

すーとしたらすーとする

 

生き方が幸せってなにかな?

 

 

働いて思う。

 

愛があればいいっていうが、愛って何か知っている?

 

存在に言いたくなる。

 

だが言わないのは、ハイヤーは話す。

 

 

自然の流れが良いから生きようと話す。

 

普通に話す。

 

 

だって、すばらしい招待客がいるし、素晴らしい守護もいる何もすることはない。

だから、余計なことはするなとおしかりを受けたことがある。

それが、忘れられないのは、簡単に生きを放っていたからでした。

身体からはおんなじことばかりを話す私がいたから、不思議と違和感が溢れ理由もなく放ったのは、家族の守護でした。

愛なのがわかるのがわかるが、良い幸せはほっとくぐらいが良いのだと教えてもらったことがあります。

思いは私でした。

自分への愛が渦をまいていたからです。

だから、今年生き方が良かったのは、急がない事、知らないと言う事、私は私だということ。素敵な飾りをつけなかった。

だから、素敵な事だけを見ていたら素敵になれたように感じる。

遊んでいたら、急いでいたら気づかなくてわからなかったけど、普段幸せだと言っていたら、幸せが舞い込んできた。

普段からありがとうと言ったら、ありがとうになった。

たったこれだけだが、これが私だと言える。

素敵な子になりたいと思っていた、だけど、考えなくなったら知らぬ事を知るように自然と綺麗になれたように感じる日があった。ときどきいらないことをしていっぱいいろいろやり、何がよくて何がいいのかわからにことがある。

しずかにいると綺麗なものも綺麗と言える余韻がある、素直に綺麗と言える素直な私だと言える。

綺麗だと言える心がある。

だから不思議と顔が久々に私なのかな?と思えた。彼女が涙を流しているのは、それかもしれない。

不思議と、涙があふれた日だった。

おしまい。

 

 

光が差し込む日

永遠に

 

 

チョアよ

 

アマテラス好きな愛をありがとう