こんばんは。


自然と遊ぶ旅人🌈行徳美香です😍


 



ある日のこと。


「またお話ししたいと


思われたら、スタッフに


言ってくださいね」と言って


Aさんのベッドサイドを後にした。



その翌日


Aさんは旅立たれた・・・自ら。

 



その知らせを聴き、とても驚いた。


全く想像していなかった


前日のご様子からその可能性を


推し量ることはできなかった。




すぐに、何かを大切なことを


見落としていたのでは、


もっとできることがあったのでは、


という方向に思考がはしった。




それから、ご家族やスタッフは


どんな思いでいらっしゃるか


とても気になった。

 



スタッフとは


デスケースカンファレンスを


したいと思った。

 



そして、その後だった。


ご本人はどうだったのだろう?


という思いが湧いてきたのは。




きっと、衝動的にではなくて、


時間をかけて、少しづつ思いを


固めていらしたのだろう。



遺言を整え、お仕事も家の


こともすべて整理され、


ご家族に伝えてこられていた。

 




お会いした時には、


苦しんでいらっしゃることを


淡々と語られた。



やや不機嫌そうだったが、


それはお身体の調子が


悪かったからだろう。



感情的になることなく、


言われることは至極


もっともなことだった。



だから、


Aさんの中で、死への希求が


どれだけ大きくなっているのか


気づかなかった。





人はいつか死ぬ。


必ず死ぬ。



医療は、死をできるだけ


遠ざけることが目標に


なっている。

 



生きている間は、散々


自分の意思で選ぶことが大切、


自由に生きることだ、


と賛美するのに、


その先にある死のことは


考えないようにして、


選ぶことをよしとしない。

 



その方はきっと穏やかに


苦痛から解放されたのだろう


と思う。




たしかに、体調の悪さや


痛みなどの苦痛のために、


いろいろなことをじっくり


考えて最良の答えを出すことが


できたかというと疑問は残る。



でも、どういう選択であれ、


ご自身の選択だ。

 




後悔や罪悪感や悲しみや憤りを


感じているのは、生きている、


残されたわたしたちだ。



問題は死ではなく、


死にまつわる己の感情を


処理できないわたしたちの


ありようだ。

 




Aさん


どうぞゆっくりおやすみください✨