思ったことを徒然に
ぼちぼち書き綴るのが、私の掲げたテーマ。


なので、今回タイトルに上げた『アクセス数0』

うむ。
よいではないか。

いや、良いも悪いも無い。
だのに、一年以上振りに思ったことを徒然に書き綴ろうとするときに、私の眼に・視界に入ってくる。厚かましい数字だ。


私は熟考する力が生きてる数字のわりには不足している、そう自分の事を思う。

内弁慶で保守的、他人と競争するのが苦手だったからだ。

『私はアンタの愛想笑い見るために言ってるんじゃない』

と、転職間もない頃に職場の先輩から激怒されたことがあった。

あれから随分と時が過ぎた今でも、その時の先輩の顔を思い出せるくらい、やわな私にとっては衝撃的な出来事であった。

今となっては、その言葉を私に吐いてくれた先輩にヒジョーに感謝しています。

何故ならば、当時の実際の私は大して可愛くも美しくもない自前の愛想笑い1つだけ、で
何とかその場を凌ごう。
やり過ごそう。
可愛い自分が傷付かないように。

これだけで生きていこうとしていたから。


その先輩の衝撃的セリフから十数年。
その間に、ドラマワンシーズン分くらいの私なりの歴史年表が出来たのではなかろうか?と自己評価した現在を振り返り私は思うのです。

傷付かなければ成長が無い。

傷つく、と言うか。争う、と言うか。

例えるなら、保育園時代にやっていた知る人ぞ知る《ザ・椅子取りゲーム》

アレって、自分が確実に椅子に座れるかどうかなんて確約されていないゲームですね。

一緒にぐるぐると円を描くように回っている、少し勝ち気なA子ちゃんや身体の大きなJ男くん。垂らした青鼻のカピカピがお口回りに残るC子ちゃん。彼等に勝って始めて安住の地=椅子、に座ってひと息つけるのです。

転職先の先輩を激怒させたワタシは、戦わずして椅子に座ってひと息つくのが当たり前。な自分しか居ませんでした。

そりゃあ激怒しかされません。


もう年齢も年齢ですし、愛想笑い一本で過ごすことは勿論無くなりましたが。

上からモノを言われることに未だ抵抗感覚える私ですが、自分と反対の意見を聞かせてくれる人に出会った時、腹を立てながらも一度は感謝します。

なんでやろ?と思う機会を貰った時。
自分が前に進むきっかけに繋がるからです。

腹を立てながらも。


いま私が、こんな気持ちで生きているのはメシア(messiah)に出会ったからでしょう。

出会っていなければ私は私の今を生きているでしょうか。

昔やってた愛想笑い同様、上っ面ばかりの時を過ごしてたのではなかったでしょうか。

そう思います。

物静かな外見とは異なる熱さと本気本物の真面目を持つメシアさん。

燃えすぎて炭化するなよ。