今日は私の46才の誕生日で、妻と息子と母親とハッピーバースデーのケーキでお祝いしてもらった。

  誕生日の恒例なので、4人分とクリスマスで、年に五回やる。

  自分的には、このブログでも何度か書いたが、母親にはわだかまりがやっぱりあるし、妻にも心の距離感があるので、なんだか形だけの行事のように感じている。
  だから、息子以外の誕生日を、ハッピーバースデーの歌まで歌って改まってお祝いするのに、なんだか居心地の悪さを感じる。
  45と46と70でいまさらハッピーバースデートゥーユーでもあるまいし、あまり乗り気になれない行事であるが、息子が喜んでいるので、まあ成り立っているように思っていた。

  電気を消してロウソクを吹き消し、灯りがついたら、なんとなく気まずさを憶えて、何かしようと思い自分でケーキを切り分けた。そうしないと落ち着かなかった。

  息子と一緒に生クリームに溶け落ちたロウのかすを爪楊枝で取り外したり、ケーキを切ったりしながら気持ちの体勢を整えていると、
妻が母親に、パパを産んでから46年経ったんですねーなどと言う。

私は動揺する。
母親とそういう話はしたことがない。母親から私が産まれたとか、母親に抱っこされたとか、そういう生々しい感覚や、愛情みたいな話を母親から聞くのが、照れ臭いを通り越して、居た堪れないというか、逃げ出したい感覚に襲われる。
咄嗟にテレビのリモコンに手が伸びそうになるが、自分の中の壁の一つが紛れもなくここにあるのだと思えたので、回避せずに我慢した。


母親は、一瞬躊躇したが、そうだねと。
予定日を過ぎてもなかなか産まれず、羊水も濁ってきてこれ以上はもうダメだからと促進剤か何かを点滴してやっと産まれて、大変だったというようなことを話していた。

妻は、よっぽど居心地が良かったんですねー。この世界に出てきたくなかったんだーなどと笑って言っていたが、私は恥ずかしいのだか、照れ臭いのだか、あるいは何か別の感情なのか、何ともいえない居心地の悪さを感じて、早く時間が過ぎないかなと思っていた。
  でも、この感覚が、自分の中の壁を越える鍵なんだろうなと思った。

  精神科医の岡田尊司さんが愛着障害の本をいろいろ書いているが、多分私は回避性愛着障害の気があるんだろうなあと思う。
  くっつきたいけど、近づくと離れてしまう。アンビバレントな感情と書いていたが、今日感じたのも多分そんな感じなのかもしれない。

  その、アンビバレントな感情の中には、母親に愛されたいという感情が間違いなくあったと思う。

  母親は、その後、少し昔話を始めたが、その中に自分に向けられた非難や皮肉はなかった。
で、話してすっきりしたのか、少し優しい気分になったようで、私も安心して、暖かい気持ちになった。


  やっぱり、母親が優しくなると自分も安心して気持ちも前向きになるのだ。