遅ればせながら、
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします
年始早々
ある感情が溢れ出て、
大泣きしたわたし。
自分でもビックリでした
わたしは、自分の子どもに対して
「可哀想」って思うことが多くて、
例えば最近では、
遅い時間のアルバイト帰り、
暗い中、1人で寒い思いをして「可哀想」
親元を離れて、
仕事で大変な思いをしているんじゃないかと
想像して「可哀想」
年越しを
私と過ごすことが出来なくて
寂しい思いをしているんじゃないかと
想像して「可哀想」
とにかく、よく「可哀想」って思う。
その事をある方にお話していて、
その「可哀想」の根本、辿り着いた先は、
やはりDV被害でした。
子供たちに
あんな酷い経験をさせてしまった。
可哀想な思いをさせてしまった。
と、久しぶりに泣きながら話していたら、
その方が、
でもね、一番可哀想だったのは
みかんさんだよ。って言った。
それを聞いたわたしは、
「えーーー⁉️」と言いながら、
号泣に変わった
子供たちのことはその時、
みかんさんが必死に守ったでしょ?
子供たちには守ってるくれる
みかんさんが居たんだよ。
だから子供たちは大丈夫だったの。
でもみかんさんは一人だったでしょ?
痛かったよねー
怖かったよねー
心細かったよねー
よく頑張ったね。って。
あー、そうか、
わたしは、
可哀想だった自分のことを
癒しきれていなかったんだ‼️
子供たちに対して感じていた可哀想は
実は自分への可哀想だったんだ‼️
わたしは、
こういうツラい経験をした意味とか
この経験で学んだこととか
頭で考えて、理解して、
お利口さんに愛変換して、
「ありがとう、元旦那さん」って、
終わらせてた
やっぱり最終的には
愛変換は必要なんだけど、
でもその前に
自分のその時の感情を感じ切って、
成仏させることが最も大切。
なのに、
それを飛ばしていたことに
気が付いた‼️
たぶん、その当時のことは、
辛すぎて、惨めすぎて、思い出したくなくて、
蓋をしていたのかもしれない。
だから今、
少し傷が癒えたこのタイミングだったのかも。
この際なので、
当時感じた
恐怖や惨めさ、悔しさなどを
できる限り感じきって、
葬り去ってやりましたスッキリ
でもきっと、
これを書きながらまた泣けてきたので、
もう少し必要かも。
引き続き、感情を感じ切る作業
やっていきます
今年は、算命学という
東洋占術を習い始めて3年目。
昨年から、
少しずつ鑑定させて頂いていましたが、
今年からはもっと大々的に
活動していこうと少しずつ動いています。
ほんと亀さん歩行ですが
準備ができ次第この場所にも
載せていきますので、
どうぞよろしくお願い致します
最後までお読みいただき
ありがとうございます🌈