人は安定を求めるもの。
昨日の自分を無意識のうちに続けようとするもの。
自分にとって実にならない習慣も続けるし、自分の人生を変えようと心に思っても一歩を踏み出すまでに何年も何十年もかかってしまう。
大義を胸に抱き、世界を変えようと思っていても、自分の生活を変えようとしない。昨日の自分の延長上を今日も当たり前のように歩む。理想と現実はどんどん離れていく。
人は自分の足で一歩を進むことに恐さを感じている。一歩進むことを「あたま」が全力で拒否している。
「こころ」が大義を抱いても、「からだ」は一歩も進まない。「あたま」がいつだってブレーキをかける。
自分が本当にやりたいことはなんだったのだろうか?自分の「こころ」が描いた未来に続く道を、今の自分の「からだ」は歩んでいるのだろうか?
「こころ」も「あたま」も「からだ」も、すべて自分。自分が自分の歩みを止めている。本当に困ったものだ。
だから人は、自分の意識と行動をしっかりと見つめる必要がある。
自分を変えようと思ったら、必ず痛みをともなう。
不安が「こころ」を支配し、「からだ」の機能を停止させる。「あたま」は自分を変えようと思う前の自分に戻るように勧めてくるだろう。
最初は失敗する。意外なことや思いがけないことにまでつまずく。
イヤになることばかりかもしれない。やらなければよかったと思うかもしれない。
でも、思い描いた未来の自分がいるのなら、きっとうまくいく。未来の自分を思い描いたときに「こころ」がわくわくし、「からだ」が踊るようならきっと間違った道を歩いていないはずである。きっと「あたま」が作る不安にもさよならできる。
自分を変えるということは自分の「あたま」と逆方向に歩むことだ。
不安は羅針盤だ。不安の強い方向に歩めば、間違いなく今の自分を変えることができる。
不安に向き合う勇気がなくては、自分を変えることはできない。
安定をやぶって不安定に飛び込む覚悟を最初に立てなくてはいけない。確固たる決意を持って自分を変える原動力にする。
自分を変えたいと願うのなら、自分を変えるために覚悟する必要がある。
安定をのぞむなら今の自分のままでいるべきだ。
安定をやぶってでも自分を変えたいと思っているだろうか?
あるのなら一歩を踏み出せばいい。不安を羅針盤にして。
