私、東京の三鷹市で育ちました。
まわりには井の頭公園や玉川上水などがあり、
緑が溢れ自然がいっぱいの地域です

小さい頃から、近所の年下の友達を引き連れては、
ガキ大将さながら飛び回るように遊んでいました。
小中の義務教育は共に、地元の公立の学校に通い、
小学生の頃は、クラスなど関係なく気の合う友達と遊び、
特に仲の良かった子たちとは、放課後お家に遊びに行ったり、
休みの日にはどこかへ遊びに行ったりと、とにかく社交的でした。
中学校では、部活に勤しみ、同じ部の友達と常に一緒に過ごし、
高校時代も、仲の良い数人でいつもいっしょに過ごしていました。
私は友達なくしては語れない10代を過ごしていました。
(ちょっと大げさですが)
そんな私だったのですが、
これまで、同窓会にはいったことがありません。
成人の日に地元小中の友達と会って以降、
級友の集まる会には出向いた記憶がありません。
会社に勤め始めてからは、仕事仲間との付き合いが
主になっていってしまうのが普通なので、
たいした問題ではないかもしれないのですが、
私の心の中には、
「昔の友達とは会わなくていい」
「理由…分からないけど、会わなくていいや」
という考えがあり続けていました。
わからないけど、友人と会うのを避けていました。
何故でしょ。
唯一、同じバスケットボール部で、
当時一番仲の良かった中学時代の友達、
N村T子さんとの年賀状のやり取りだけが子供のころの繋がりでした。
その彼女と昨年夏に十数年ぶりに会いました。
あまりに久しぶりだったので、
なんとも不思議な感覚に陥ったのを
今でもはっきりと覚えています。
それにしても、
彼女が結婚を機にサイパンに移り住む、
ということがなかったら、
今後も年賀状だけの付き合いだったかもしれませんね。
さて、そのT子、
昨年暮れにサイパンのご主人の元へ立ったのですが、
諸々の手続きがうまく進まず、現在日本にいてます。
地元三鷹の実家に一時的に住まわせてもらっているそうです。
その、彼女の一時地元滞在によって、私の中心の中にあり続けていた
「何故友達と会おうとしないできたのだろう」
という疑問を、強く考えさせられることになります。
というのは、
先日彼女からメールがきまして、
“日本にいるあいだ、短期の飲食店でのアルバイトを始め、
そのお店に、中学の同級生のUさんが偶然来店。
ひさしぶりの再会で話が盛り上がり、
少人数だけど吉祥寺で食事をすることになったから、
みかじんも行かないか?”
という内容でした。
中学時代の仲間の集いです!
きっかけは思いがけずやってくるものなんですね。
さて、どうしましょ・・・・・。