半年ぶりに記事を書いています。いよいよ本格的に研究をするようになってきて、匿名の読者ではなく、具体的な人を思い浮かべるようになるとどうしても記事が書きにくくなってしまいます。ほかにも理由はあったのですが、まあ追い追いかけたらいいですね。
さて、今回は、以前書いたこちらの記事について、最近考え直したことがあったので書き直すことにします。
いじめは被害者が悪い、というのは100%ないと思います。(原因はあるかもしれないが、責任はない)かといって未成年の加害者に責任を持たせるのはどうなのか、家庭環境など考慮すべき事項があるのではないか、というのが大体の議論の焦点となっています。
海外ではいじめの加害者にカウンセリングを施すのが一般的だと言われています。
まあ被害者は避けようがないので、加害者をカウンセリングするしかないというのは尤もなことだと思います。
とはいえ、実際に加害が発生するまで待たなければいけないのか、という疑問は残ります。
「いじめ加害者に共感トレーニングや怒りのコントロールのカウンセリングを課すと聞く。」と書いてありますが、これは誰にやっても損しないものだと思います。今だと通級ではこういうトレーニングは一般的なのでしょう。
※通級の学習内容についてあまり詳しくないので、教えていただけると嬉しいです。
学校全体でSSTに取り組むことの有効性は論文などでもすでに示されています。
https://www2.center.ibk.ed.jp/contents/jouhou/senmonin/shiryou/kuramoti1.pdf
というわけで、義務教育でSSTを必修化してもいいのではないか、というのが僕の考えです。考えられる批判としては、学級担任ではSSTに対する技量は不十分、教師の負担がさらに増える、といったものが想定されます。しかし、道徳を教科化してもいじめが減らないのは知識の不足ではなく正しい振る舞いができないことによるものだと思うので、考え方を変えるという点ではすごく良い試みだと思います。
最近LST(ライフスキルトレーニング)という概念を知って、非常に衝撃を受けているのですが、こちらもとても大事なことだと思います。僕ももっと早く知っていたら楽になったでしょう。
LSTは家庭科が一番近い教科だと思いますが、家庭科は結局授業でやったきりになってしまっている印象があります。集団で調理実習をやったからといって料理ができるようになるとは限りません。本当に大事な科目なら、せめて家庭科に習熟度別学習を導入してみたらいかがでしょうか。
SSTやLSTに求められる観点として、教師目線で「教える」ことではなく、生徒の目線で「どうやったらできるようになるか」を出発点として考える必要があると思います。(通級で行われているSSTでも、これを満たしていないものは多いらしいです。実態など教えてください)この転換こそが、最も必要なものだと思います。
最終的にこの発想は、インクルーシブ教育のためにも必須のものだと思います。
義務教育では最低限、人権教育と包括的性教育、SSTとLSTをやっておけば十分な気もしています。あとは各々のペースで学べればいいのではないですかね。