この度noteを開設しました。今後記事はそちらで書くことが多くなると思います。

 

 

 

しかしこの記事は個人情報も含まれているため、このブログで書きます。アメンバー限定にしたら読む方はいらっしゃいますか?

 

広陵高校野球部の暴力事件が話題になっています。出場辞退後も週刊文春によって過去の暴力事件が暴露され…といった具合になっています。

そこで起きていることで何一つ良い出来事がなかったなあとは感じます。部員による暴力も、監督による隠蔽も、SNSによる中傷もどれをとっても良くないことであったのは事実でしょう。

 

1個思うこととしては、「自分がその場にいる生徒だったら暴力に加担しない選択はできたか?」ということです。暴力が繰り返されることは構造的な問題なので、その場にいる生徒を晒しあげるSNSの行為は正義ではなんでもないと思います。その場にいたら正常な判断ができなくなってしまう、それが社会構造というものなのでしょう。

これは戦争についても言えることです。式典において「反省」という言葉が使われたことが話題になっていますが、これは特定の個人が行うものではなく、戦争に対してNOが言えなくなった社会構造に対する反省なのだと受け止めています。

 

教育学を学習して、子どもの権利というものを学びました。子どもの権利は「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」の4つが主体となっています。研究分野にしている人もいるので、自分も色々過去のことを回想したりします。

暴力事件なんかは子どもの権利以前の問題ですが、自分の出身高校も改めて考えると権利の点では色々と問題があったなという回想です。

とはいえ、出身校のことは全く嫌いではないです。むしろ変に拡散されてしまったら怖いので大きく書けないところです。

具体的な話は書けないのですが、裁判を起こしたら勝てそうなことが2つほど思い浮かびます。でも当時は自分が被害に遭っているという認識は全くなかったです。

この話は他のブログに対するコメントとして書いたものなので、自分の記事としてどこまで書くか迷っていますが、自分が受ける被害に対してかなり鈍感なところはあったと思います。とはいえ他の生徒が同じことを言われたら不登校になってもおかしくないような、そんなことです。

 

特にスポーツ校の部活動の話題ではなく、進学校の話ですからね…

今では笑い話にしてしまっている話ですが、それだけでいいのかというのは感じてしまいます。

特段大きな事件はそれくらいですが、子どもの権利という発想が学校にあったのだろうか…とは少し考えてしまいます。

実際高校は楽しいことの方が多かったですし、自分が望んでいった学校なので概ね満足しているのですが、学園ドラマからはほど遠いですね。

まあまとめると、自分には合っていたが、万人に勧められる学校ではないし、研究をする上では批判的に捉えなければいけないところ、という感じでしょうか。

ジャニーズの事件の際にも、被害者がジャニー喜多川氏に感謝の意を述べるみたいなことがありましたが、気持ちはよくわかります。

むしろ第三者にそこだけ切り取られて炎上されたら困るというか…

 

もう1点、「子どもの意見表明権」というものがあります。解説を載せておきます。

https://one-love.jp/guidebook/issue/20220624-01.html

 

意見表明権はとても大切な権利ですが、「意見の表明」はそれほど簡単なものではないし、特に障害を持っている場合、とても難しいものになるのだろうと思います。まず、意見をもつことが難しい場合も十分ありますから。

権利が権利として保証されたらいいのですが、例えば「意見を言えるようになる」といった目標や評価ができた場合、自分の意見を持つことが規範となってしまいます。意見をはっきり主張することはできた方がいいことですが、意見を言う・持つことが苦手な人がどこまで尊重されるか気になるところです。

 

Chat GPTに聞いてみたところ、「言える子だけの権利」になってしまうというのは懸念されている事項の一つだそうで。「言うのが苦手な人にこそ支援を整えて、表現できる手段を保障する」権利という答えが帰ってきたので一安心ではあります。

 

自分の研究にもつながる話なのですが、改めて考えると「意見をもつ」ことの難しさにももっと向き合っていかないとと思います。