ローリーが立ち去ったリビングで蓮はソファーに深く腰かけて頭を抱えたまま、まだ動けずにいた。社はそんな蓮をしばらく眺めていたが、このままでは埒が明かないと思い、言葉を選びながら声をかけた。
『…蓮。』
『……。』
『蓮、落ち込む気持ちは解らなくはないけど、そろそろ「敦賀蓮」に戻ってくれないか?』
『…はい。』
『おいおい、「敦賀蓮」はそんな捨てられた子犬みたいな顔はしないはずだぞ?』
『…はい、すいません。』
『はぁ、お前はやっぱりキョーコちゃんがいないとダメなんだな。忘れちまう前からそんなところはちっとも変わりやしない。』
『えっ?』
本当に驚いた顔で社を見る蓮。
『なんだよ、仕方ないじゃないか。俺たちが知ってる「敦賀蓮」はそうだったんだからさ。』
「そう…なんですか?」
「あぁ。それはもう、キョーコちゃんがいないだけで呼吸すら忘れてしまうんじゃないかと思うくらいに、キョーコちゃんに惚れて甘えて溺れていたな。」
『そんなに?』
『あぁ。何でもそつなくこなすお前が、キョーコちゃん相手だと感情のコントロールさえできない。意地悪だし、子供っぽい嫉妬はするし、ひたすら不器用になるんだから、見てるこっちがはらはらさせられたものさ。』
『そう…なんですか。』
『だからさ、お前がキョーコちゃんとお付き合いする事になった時には親い面子はお祭り騒ぎだったんだぞ。社長なんてパーティー開くとか言い出して、止めるの大変だったんだからなぁ…。』
『そんな…。』
『そうなんだぞ。もう゛お兄ちゃんなんて社長に拗ねられるわ、八つ当たりされるわ、マリアちゃんには泣きつかれるわで大変だったんだからな。』
『拗ねられる、八つ当たり、泣きつかれ…。』
『ん~、なんだ。それだけ、お前の親い人達はお前のへたれ具合をよく知っていたって事だな。だからさ、今さら格好つけたり平静を装ったり、体裁を取り繕ったりする必要なんてないんだよ。』
『お、おれがへたれなんですか?』
『あぁそうだよ。へたれもへたれ。へた蓮って言われてるくらいだからな。よくもまぁ、キョーコちゃんみたいな最強のラスボスを落とせたもんだよ。お兄ちゃんもびっくりだよ。』
『へた蓮って…、ラスボスって…、結構ひどくないですか?』
『まぁそういうなよ。そりゃ、個性的で突拍子もない事ばかりする連中だけどさ、みんなそれぞれがキョーコちゃんやお前の事を大切に思ってるからこそだと俺は思う。実際、そうでなければわざわざあんな忙しい社長が同じ敷地内だからってこまめにここに来て様子をみたりなんかしないだろう?』
『はぁ…。』
『だからさ、自信を持てよ。日本中が憧れる「敦賀蓮」が実はへたれで不器用なおこちゃまだなんて、なかなかシュールで楽しい現実じゃないか。』
社は蓮に話しながら自分の口から出た言葉に思わず苦笑する。
「社さん、いい加減俺で遊ぶの止めてもらえませんか?」
「いやだね。これは俺の特権だからな。天下の『敦賀蓮』をマネジメントする俺はそれでなくてもストレスが高いんだ。どっかで解消しないとパンクしちゃうじゃないか。そうしたらお前だって困るだろ?』
『それはそうですが、俺は今「敦賀蓮」じゃないんですし。』
『ダメダメ。お前は「敦賀蓮」で「敦賀蓮」はお前だ。そりゃ。全部じゃないがお前を構成する要素に占める割合は独禁法に抵触するくらいには大きいと思うぞ。』
「はぁ、(クスッ)やはり社さんには口では勝てませんね。」
「当たり前だ。お前よりたくさん飯食ってきたんだからな。」
「…はぁ…」
蓮は深いため息を吐いてまた頭を垂れた。その姿にさっきまでの切羽詰まった雰囲気を感じないことに社は内心安堵する。その時リビングの扉が再び開かれ、その音に二人が視線を向けると、そこには機嫌よさそうなローリーが立っていた。
「最上くんも少し落ち着いたみたいだし、俺は帰る。お前たちはどうするんだ?」
蓮と社はソファーから立ち上がる。
「『敦賀蓮』は今日この後はオフです。俺は一度事務所に寄って明日のスケジュール確認と調整を。蓮はこのまま上がります。」
『そうか。なら社、事務所まで乗って行くか?』
『あ、ありがとございます。では、お言葉に甘えさせていただきます。』
『うむ。蓮、明日からに備えてしっかり休養することだ。』
『はい、ありがとございます。』
蓮は深く頭を下げた。
「蓮。さっきの話は一応保留にしておく。最上くんもお前もまだ不安定で俺の懐から出すのはまだ時期じゃねえと判断したからだ。異存があるならいつでも言ってこい。」
「はい、ありがとうございます。」
「社。出るぞ。」
「はい。」
ローリーは踵を返してリビングから玄関へ向かった。その後ろに社、蓮と続く。玄関から出ていくローリーと社を蓮は深々と頭を下げて送り出した。玄関の重い扉が閉まる音に蓮の肩の力が少し抜ける。下げていた頭を上げて今度は階段の上、キョーコの部屋に視線を移す。
しばらくの間閉ざされた扉を見つめていたが、俯いて目を閉じ、ゆっくり深呼吸で息を整えた。
パッと目を開き、「よし、大丈夫。がんばれ、俺っ」と小さく自分を叱咤して、蓮は一歩一歩、ゆっくりキョーコの部屋を目指した。