撮影中****

まゆみはぼんやりと部屋を眺めていたが。見るではなく目に映るのは住み慣れた自分の部屋。高橋まゆみになってからこの部屋で過ごしてきた。しかし今、それほど愛着を感じる事がない自分を発見する。
やりたい事、将来の夢…ない。さっきお養父さんに聞かれた時に答えられなかったのはそのためだ。将来どころか、今したい事すら浮かべるのはとても困難で、そんな事を今まで考えた事もなかったのではないかと想う。今通う大学は養母の勧めで進んだ。ピアノは養父が好んで言われるままに習い始めた。茶道、華道は作法として身に付けている。料理を得意とする養母にキッチンで料理を教わるのは楽しかった。何より、自分が何かをした時に養父母が喜んでくれる事がとても嬉しかった。自分が何をしたいかよりも自分が両親に何を望まれているかの方がまゆみには重要だった。
「私…空っぽなんだわ…」ふと溢れた言葉は思いの外大きく耳に届いてまゆみはビクッと体を震わせた。両手で自分を抱きしめる。そこにあるはずの体はとても華奢で儚くて、今にも消えてしまいそうな程に心許ないものだった。まゆみは自分を抱きしめる手にますます力を入れて小さく小さく丸まっていく。固く目を瞑ると涙が出てきた。高橋まゆみになってから一つだけ自分の為にしてきた事。我慢出来なくなった時に部屋の中でひたすら泣く事。それはまゆみに許された唯一の我儘だった。まゆみは久しぶりに泣いた、子供の頃のように。

ふと心の中に響く優しげな声。『高橋さん?』『まゆみちゃん!』
顔をあげると少し物憂げな表情のままこちらを見ている青年と満面の笑みを向けている青年。みのると上野だ。二人がまゆみに向ける視線はいつも易しい。この二人と出会ってまゆみの身辺は色を持った。みのるが話す内容は興味深いものだし、上野はいつも楽しくなる話題を提供してくれる。二人と過ごす時間が心地いいと感じた頃からまゆみは少しずつ欲張りになっている自分に気づいていた。だが、そんな我儘は自分には許されないものだとずっと否定してきた。楽しいとか面白いとか感じるのはこれが最初だろう。もっと一緒にいたいとか時間が足りないなんて想いも初めてだった。最近のまゆみはこの得体の知れない気持ちを持て余し気味だった。だが、養父の言葉で気付いてしまった。この二人が『気になる相手』なのだと。一度に色んな事が流れ込んできて、まゆみは考える事を放棄して眠りに落ちた。