サイドキョーコ

敦賀さんは凄く辛そうな顔をしてた。そんな顔で敦賀さんの言った言葉の意味、よく解らなかった。だって、バッシングを受けてるのは京子、つまりは私なのに、私自身が傷付く必要がないっていったいどういう事なんだろう…。だって、京子は私で私は京子を…あれ?
演じているんだ。社長にも『演じろ』と言われたんだ。『京子になれ』と言われた訳じゃない。同一人物でもない。じゃぁ、私はだれ?
その答えは無くしてしまった。今の私は空っぽで、ただ、京子を演じている役者…。そうか、私は今、誰でもないんだ。誰でもなければ誰にもなれないただの人形…。京子を演じる事で、京子という着ぐるみを着る事でしか存在し得ない私…。そんな私に周りの皆さんは凄く優しく接してくれる。敦賀さん、モー子さん、社さんにマリアちゃん、椹主任や松島主任も。何より社長はお父さんのようにずっしりと構えていて、こんな私を受け止めるくれている。それは私に優しくしてくれているの?それとも…。
京子だ、京子にみんなが優しくしてくれているんだ。私が京子を演じてなかったらこんなに優しくしてくれる人が沢山いてくれるはずがない…。

私は、『京子』に守られている…。

京子を演じる事で私は社会性を失わずにいる。京子である事で周りの人達が私を守ってくれている。京子…私の知らない私の一部。空っぽの私の苟のコア。京子を演じて京子として感じる喜怒哀楽の全てが私の経験として私の中に積みあげられていく。些細な事の一つひとつが空っぽの私を満たしていく。それは私を作る大事なプロセス…。

『京子を演じる』意味が少し解ったような気がする…。

ても…、それでも…。

ねぇ、敦賀さん。貴方と二人だけの時は京子を脱いで素の私に、未完成で不十分な私に戻ってもいいですか?