さっきK-1元王者のYouTubeでそう聞いた。
そうなのか。。。。。今頃気付いた。
記憶もボヤッとしているような幼少期から空手をずっとやっていた俺は、単純に喧嘩🤜するよりも、稽古で発散して疲れて空腹で帰宅→飯食ってドラゴンボール見て寝る。みたいな暮らしで成長して来た。
子供の頃から興奮して喧嘩したこともあったけど、小学生中学年頃には自制が効くようになって喧嘩なんてまずしなくなった。
とにかく練習では筋トレとか暴れまくったりして疲れてた。ベストキットでも見て宮地さんやダニエルさん凄ぇ!と興奮して満足してた。
勝つのは喧嘩ではなく試合の人々の前で勝つことばかり考えていた。
世の中には「無駄なことなど何一つない」と言う言葉がある。そう考えられる人って、単純に凄いな。って思ってた。
僕の頭にもよく浮かんでくるその言葉。無駄なことなど何一つない。
でも、今でも心の中でどこか疑っている。無駄なことってあるんじゃないか?って。
空手🥋やって8年かけて有段者になった事すら意味がないと思ってた。
メンタルが全然強くないと気付いたからだ。むしろ弱い。
メンタルの強さと言うのは、段階を一つずつ乗り越えて強くしていくもの!という世知すら疑っていた。
メンタルの強さなんて、個体差があって、遺伝が8割であって、弱い者はいくら鍛えても意味が無いのではないか?と。。。。。
自分ではなく、他人を見ていても本当にそう思うことがある。
僕はメンタルの弱い他人が嫌いではない。むしろ好意的な、尊敬すら抱くことも多い。
メンタルが弱めだが洞察力に優れている人、感性が豊かで表現力が高く、相手を感動させる域にいる人、自分のメンタルが弱い分それを隠さず、人の気持ちを良く理解してくれる人。頭の良い人、優しい人。
どちらかというと僕が尊敬するのは、メンタルの弱い人に多かったりする。
メンタルが弱いが首尾一貫して何かに取り組み、自分なりにステップアップして来たような人は、弱いままで社会とうまく繋がる術を身につけていく。
でも、メンタルが弱く、社会に溶け込めなかったが何かしらの才能がある人もシュールですごく好きだ。
強いヤツというのは、洞察力を高く持って見ていないと危険だ。ただ、神経が一本切れているだけの奴、ネジが一本抜けてなくなってる奴が意外と多い。
そういうのが平気な顔してネジの無い状態で他の機能で補い、普通の人の顔をして紛れてる。(僕はすぐに気付くが)
話は戻るが自分は格闘技やムエイタイなんてやって意味あったのかな??と思うことが多かったが、今になって意味があった🤭気がして来た。
明らかに、キレにくい人間になっていた事だ。
単純に、格闘技を長年やっている者は強く、体の作りも硬さも柔軟性も違う。そう知っていたから、ひたすら肉体、精神鍛錬の道を歩む少年時代だったわけで、それ以外に武力、腕力を振るう必要も無くなって来ていたのだと思う。
あと、早いうちに先生に目を付けられ、押さえつけられたのも原因かもしれない。低学年のうちに格闘技が暴力化していた僕は、先生に危険だと目を付けられていた。それがストレスだったけどね。
あの頃、先生の顔をぶん殴っていれば自分は何かが弾けて悪の道を進んでいたと思う。
でも、同じ道場に通っていた友達も何人か喧嘩🤜好きになってしまい破門にさせられたり、バイカーチームに入って暴走したり。。。。。
うちの兄も同じ空手やってたのに、喧嘩🤜しまくって鑑別所行ってたやん😰😰😰書いてて今思い出したわ😥
結局はやはり、遺伝子の問題なのではないか?と思う。ヤンチャな奴はヤンチャだし、落ち着く奴は落ち着くのかもしれない。
とにかく、精神状態が冷静で落ち着いている状態を維持出来るのが一番理想的だな。
そうなのか。。。。。今頃気付いた。
記憶もボヤッとしているような幼少期から空手をずっとやっていた俺は、単純に喧嘩🤜するよりも、稽古で発散して疲れて空腹で帰宅→飯食ってドラゴンボール見て寝る。みたいな暮らしで成長して来た。
子供の頃から興奮して喧嘩したこともあったけど、小学生中学年頃には自制が効くようになって喧嘩なんてまずしなくなった。
とにかく練習では筋トレとか暴れまくったりして疲れてた。ベストキットでも見て宮地さんやダニエルさん凄ぇ!と興奮して満足してた。
勝つのは喧嘩ではなく試合の人々の前で勝つことばかり考えていた。
世の中には「無駄なことなど何一つない」と言う言葉がある。そう考えられる人って、単純に凄いな。って思ってた。
僕の頭にもよく浮かんでくるその言葉。無駄なことなど何一つない。
でも、今でも心の中でどこか疑っている。無駄なことってあるんじゃないか?って。
空手🥋やって8年かけて有段者になった事すら意味がないと思ってた。
メンタルが全然強くないと気付いたからだ。むしろ弱い。
メンタルの強さと言うのは、段階を一つずつ乗り越えて強くしていくもの!という世知すら疑っていた。
メンタルの強さなんて、個体差があって、遺伝が8割であって、弱い者はいくら鍛えても意味が無いのではないか?と。。。。。
自分ではなく、他人を見ていても本当にそう思うことがある。
僕はメンタルの弱い他人が嫌いではない。むしろ好意的な、尊敬すら抱くことも多い。
メンタルが弱めだが洞察力に優れている人、感性が豊かで表現力が高く、相手を感動させる域にいる人、自分のメンタルが弱い分それを隠さず、人の気持ちを良く理解してくれる人。頭の良い人、優しい人。
どちらかというと僕が尊敬するのは、メンタルの弱い人に多かったりする。
メンタルが弱いが首尾一貫して何かに取り組み、自分なりにステップアップして来たような人は、弱いままで社会とうまく繋がる術を身につけていく。
でも、メンタルが弱く、社会に溶け込めなかったが何かしらの才能がある人もシュールですごく好きだ。
強いヤツというのは、洞察力を高く持って見ていないと危険だ。ただ、神経が一本切れているだけの奴、ネジが一本抜けてなくなってる奴が意外と多い。
そういうのが平気な顔してネジの無い状態で他の機能で補い、普通の人の顔をして紛れてる。(僕はすぐに気付くが)
話は戻るが自分は格闘技やムエイタイなんてやって意味あったのかな??と思うことが多かったが、今になって意味があった🤭気がして来た。
明らかに、キレにくい人間になっていた事だ。
単純に、格闘技を長年やっている者は強く、体の作りも硬さも柔軟性も違う。そう知っていたから、ひたすら肉体、精神鍛錬の道を歩む少年時代だったわけで、それ以外に武力、腕力を振るう必要も無くなって来ていたのだと思う。
あと、早いうちに先生に目を付けられ、押さえつけられたのも原因かもしれない。低学年のうちに格闘技が暴力化していた僕は、先生に危険だと目を付けられていた。それがストレスだったけどね。
あの頃、先生の顔をぶん殴っていれば自分は何かが弾けて悪の道を進んでいたと思う。
でも、同じ道場に通っていた友達も何人か喧嘩🤜好きになってしまい破門にさせられたり、バイカーチームに入って暴走したり。。。。。
うちの兄も同じ空手やってたのに、喧嘩🤜しまくって鑑別所行ってたやん😰😰😰書いてて今思い出したわ😥
結局はやはり、遺伝子の問題なのではないか?と思う。ヤンチャな奴はヤンチャだし、落ち着く奴は落ち着くのかもしれない。
とにかく、精神状態が冷静で落ち着いている状態を維持出来るのが一番理想的だな。