こんばんは。

今日はブログを始め悲たばかりなのに、悲しいお知らせになります。ショボーン

暗い気持ちになる方もいらっしゃるでしょうから、その時は今回の投稿は飛ばしてください。

 

私には14歳になる、オーストラリアンラブラデュードル犬がいました。犬

はい、この2月4日に、彼は天国に行きました。 彼の名は、Brooklyn。 14年前にインディアナ州のブリーダーから我が家にやって来ました。

一人飛行機に乗って、主人がラガーディア空港に迎えに行った時は、おしっこまみれで鳴いていたそうです。

”Brooklyn!”と声をかけると、鳴くのをやめて、ケージから出すと主人にぺろぺろ攻撃。ラブ

そのまま、子供達の通っていた日本語学校に連れてきました。 ブルックリンは皆に愛されて、皆を愛していました。しっぽフリフリ

ルックスもそうですが、当時はまだ珍しく、全米でも数か所しかブリーダーがおりませんでした。アレルギーのある私は、数ある犬種から、ブルックリンを選んだのでした。ブルックリンは人気者でした。お散歩に行っても、人に声をかけてもらい、写真を撮られることも数知れず。

人間が大好きでした。 食いしん坊で、おいたも沢山しましたね。やんちゃ坊主でしたね。本当にたくさんの方から愛されていました。

 

月曜日に大雪だったNYですが、ブルックリンは前夜まで、毎日欠かさずお散歩に行ってました。何回も転がって、雪まみれになっていました。 

雨の日も、風の日も、雪の日も。 太陽雷傘雪の結晶

Brooklynはお外が大好き。 雪の日は特にはしゃいでました。

老体にもかかわらず、関節炎もあったのに、毎日お散歩を楽しみにしていました。しっぽフリフリ走る人

 

2月3日の晩、息子とのお散歩から帰ると、Brooklynは倒れました。

 

ここ一週間ほど私がご飯を作っていました。自分のドックフードを食べなくなったのです。

しかし私のご飯を元気にぺろりと平らげるブルックリンを見て、、嬉しくって安堵した矢先でした。

昨晩はご飯を食べませんでした。大好きなサツマイモも。チーズを一切れ食べただけでした。

 

まさか、こんなにいきなり。。。

知人のゴールデンが先月14歳で息を引き取ったばかりでした。

その時に、”毎日毎日を大切に、沢山愛してあげてね”。彼女は私にメッセージを送ってくれたのでした。

 

14歳と5か月。自分は兎も角、私を支えてくれました。 

主人との別居から、直ぐに息子も大学に行き、家には私とBrooklynの二人だけ。

いや、実は二匹の猫もいますので、私と3匹の生活が始まりました。黒猫オッドアイ猫犬ウインク

そして、Brooklynの使命は私を守ることになったのです。

既に、その時彼は11歳。以前にもまして、彼の私への執着心は高まっていきました。

毎日仕事に行くときは、心配でしょうがないのです。置いて行かれるかもしれないと思っていたかもしれない。

仕事から戻ると、必ず玄関のドアの所で私の帰りを待っています。なので、ドアが開かないのです。

”ブルックリンどいて。”これが、お決まりの言葉でした。

私が家にいる間は、どこに行くにも着いてきます。勿論、トイレにも、お風呂にも、台所でも。ひと時も離れません。

トイレに行くたびに、ドアの所で私が出るまで待っています。

私はアレルギーがあるので、ブルックリンと一緒のお部屋で寝れません。

彼は、必ず、私の部屋のドアの外で眠りにつきます。勿論、夜中にトイレに起きても、トイレから出ると、ブルックリンは私を待っているのでした。

彼は、人間が大好きでした。人間に”いい子だね。Good Boy!”と、褒められることが、彼の最高の喜びでした。

 

”I love You, Brooklyn! Good Boy, Good Boy Brooklyn!”そう言って、褒めてもらえる事が、彼の一番欲しいことだったのです。

大好きな家族に囲まれて、その家族を支え守ること。 

14年5か月。何の愚痴も言わず、家族に心配をかけさせないように、足も痛かったのに、毎日お散歩にも行ってました。

時には変なカッパやブーツも着せられて。

 

脳卒中でした。 直ぐに娘がNJ州から戻りました。 

 

ごめんなさい。なんかうまく書けないですね。。。感情だけで書いているから。。。ごめんなさい。

 

昨日、部屋でまた泣きべそ掻いていた時です。ブルックリンのキューンキューンとなく声が、部屋の外で聞こえたのです。

急いでドアを開けてしまいました。。。。いるわけないのに。。。わかっているのに。。。。

猫のトトロがブルックリンを鳴きながら探します。あの日からずっと。。。。

シャワーから出ても、もうブルックリンはいません。

今日、外から戻った時にドアが開かなかったのです。。。。息子のスニーカーでした。

頭を下げる私を見て、息子が”どうしたの?”。

”ブルックリンがまた寝ていて、開かなかったと思っちゃったよ。”。ショボーン

息子は、そんな私に”そっかあ。。。。。お帰り。”と笑みを浮かべました。

彼も辛いのに、お母さんしかっりしないといけないなあ。主人との別居の時に、今のような状態を彼は見てきているので。。。

心配ばかりさせてしまいます。

 

2020年はコロナで無職となり、生活も楽ではありませんが、色々な事が出来ました。 自分に向き合うことが出来ました。

そして、3月から息子が寮から戻り、そのまま現在も授業をリモートで受けています。

家に息子も私も常に居るんです。 最後の一年、昔のように子供達が傍にいる生活。

ブルックリン、きっと嬉しかったと思います。おねがい

 

色んな意味で、私はこれから自分の生活を立て直す時が来ています。

ブルックリンが、”お母さん、僕は行かないといけないよ。” ”これからは、お母さん一人だよ。きっと大丈夫だよ。僕は信じているよ。”

私には、そう彼が私にエールを送っているように聞こえます。

今まで、つらい場面を観てきたブルックリン。私が泣き虫なのも知っています。 夫婦喧嘩の時は、私の前に盾となって守ってくれたね。

本当に最後まで私達家族を纏めて、支えてくれていた。

 

今までどうもありがとう、ブルックリン。

ずっとずっと大好きだよ。

私達の家族の一員になってくれて、本当にありがとう。

いままでの14年5か月5日間、ブルックリンとの生活は、私達家族にとって、決して忘れない宝物です。

また逢う日まで。お母さん、頑張るよ。見ていてね。 もう心配いらないよ。 

天国で、ゆっくりしてね。

次に会うときは、お母さん、ブルックリンを見つけるよ。覚えていてね。

 

"Brooklyn We Love You So Much. "

"Good Boy, Good Boy Brooklyn!"

"We Miss You."

 

14年間という短かくも、人間にしたら78歳、何でも一生懸命だったブルックリン。

一心に愛する家族を守り続けるブルックリンの姿は、私へのメッセージでもありました。

ブルックリン、本当にありがとう。 絶対に忘れないよ。

またね。

 

逆さで、ごめんなさい。

 

今日は悲しい話でごめんなさい。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

では、また。