【手放しと覚悟】

 

 

よく「手放し」っていうよね。

 

 

あなたはどんな時に

 

「手放ししよう」って

 

思いますか?

 

 

私は自分の中に

 

「モヤモヤ」がある時に

 

スパッと手放しします。

 

 

もちろんこんな私にも

 

しっかりと感情があって

 

「執着」もあります。

 

 

私は

 

「愛されたい」

 

「大事にされたい」

 

ってものすごく執着がありました。

 

 

 

人のことがわかりすぎるから

 

相手のことを先読みして

 

甘えることも

 

心配をかけることも

 

迷惑をかけることも

 

しないように生きてきた。

 

 

 

心のどこかに思いっきり

 

「甘えたい」

 

「甘やかされたい」

 

って思いながらも

 

できなかった自分がいた。

 

 

甘えなくてもね、

 

ほんの少し頑張れば

 

何でもできちゃう自分がいて

 

甘えないことで

 

自由が手に入るならそれでいいと

 

自分の感情をおさえてきたの。

 

 

もちろん自由は欲しい。

 

何よりも自由でいたい。

 

 

でも思いっきり「甘えたい」というより

 

素の自分を出しても大丈夫な

 

「安心できる場所」が欲しかったんだと

 

気づいた。

 

 

親から「愛」をもらいたいのではなく

 

「素」の自分を

 

認めてもらいたかった。

 

 

でも小さい頃から空気を読んで

 

「素」を出せなかった自分がいた。

 

 

全部、自分が望んだまま。

 

 

「素」を見せたらダメだと

 

自分で思い込んできたから

 

親にも友達にも

 

自分を見せられなかった。

 

 

今月の満月。

 

 

この気持ちをあることによって

 

手放ししました。

 

 

身体は嫌がっていたけど

 

自分で自分を深掘りして。

 

 

手放しには「覚悟」が必要で

 

覚悟の揺らぐことも

 

もちろんたくさんあった。

 

 

どうして身体がそんなに

 

嫌がっているのか?

 

 

そう、身体は正直。

 

「イヤイヤ」って言ってる。

 

 

自分でなだめるのではなく

 

そんな自分を認めた。

 

 

自分の深いところにあった

 

「執着」

 

 

本心ではわかっているのに

 

思考が手放しを拒否する「執着」。

 

 

本当に自分の欲しいものだけ

 

手に入れると決めた時

 

それが覚悟となり

 

行動となり

 

自分のために動くことができた。

 

 

「やるつもり」

 

では手放しはできないと思う。

 

 

「執着」ってまるで自分の

 

皮膚のようにビッチリ自分に

 

絡みついているものだから

 

それが自分なんじゃないかって

 

喪失感さえ感じてしまう。

 

 

そこを乗り越える覚悟を持って

 

いられた時にだけ

 

手放しってできると思う。

 

 

ただただ離れればいいのではないの。

 

 

なぜ手放しするのか?

 

の軸になる部分が

 

どこにあるのかによっても

 

意味が変わってくるし

 

気分的な手放しだと

 

結局元に戻ってしまう。

 

 

それでもいい。

 

 

私は何度も繰り返すことに

 

飽き飽きしちゃうから

 

覚悟を決めて手放しをする。

 

 

ただそれだけのことだけ。

 

 

今はぽっかりできた空白に

 

仕事を詰める気にもならないし

 

ほかごとで埋めようとも思わない。

 

 

ただただ自分の気持ちと向き合い

 

「ととのえる」時間をとる。

 

 

 

本当の自分にとって必要なこと。

 

「素」の自分がしたいこと。

 

心の底から幸せを実感できること。

 

 

それらを選ぶと決めたから

 

その覚悟が行動を変える。

 

 

目先のことに左右されない。

 

そんな覚悟が今の私を作っている。