IN NEW YORK

新歌舞伎座公演を終え、すぐにNYに飛んで来てアッと言う間に五日が過ぎました。

今回は約二週間こちらにいるので、ホテルではなくミッドタウンの50丁目にあるアパートを借りています。

外に出ると一日中氷点下、でも不思議と大丈夫。この街はやはり、エネルギーで溢れています。

私自身から溢れ出すエネルギーも、ここでなら待て余さずに済みま

日本を発つときは、長期公演を終えた安堵と淋しさで不安定な抜け殻だったはずなのに。

この原稿も、書きたくて伝えたくて、半ば、殴り書いています。ペンが気持ちに追いつかない。

二週間もここに何をしにやって来たのか、一つ一つ説明するのももどかしい。

歌手として、人間として、これからの私の人生のために!やって来た。


 事務所を独立して自分の会社を立ちあげたとき、小さな会社にTOI  LA  VIE (お前の 人生)と名付けた、その原点を思い出しています。

 

 ここには恐ろしく沢山の人間が住んでいます。一日中、けたたましくパトカーのサイレンが鳴って、凍った道路のマンホールからは凄い蒸気が吹き上げて、地下鉄は時刻なんてお構いなしに走って、気をつけないとスーパーマーケットのエスカレーターからは人間が転がってきて、万引きも、突然の暴力も何だってすぐ隣で起こっています。

今回、そんなNYで沢山の日本人と出会い、その人たちの人間力に感動してこの文書を書き始めました。

その中の一人、美樹さんはバレエの名門マーサグラハムのプリンシパル。
十八才の時にNYに一人でやって来て以来、55才になる現在も現役で踊り続けています。立ち止まってなどいません、第一線で踊っている素晴らしい舞踊家です。

普段の彼女は、やはり舞踊家のご主人と暮らす極々、普通の女性です。私のライブを聞きに来て下さり、お招き頂いたホームパーティーでは丁寧にお餅を作ってくれる。公演も多くお忙しいのに、単身NYにやって来た私のことを細やかに気遣ってくれる方です。

彼女がTAXIの中で私に言った言葉は、とても心に残りました。

「NYはね、会いたい!と思った人には必ず会える街なの」

立場が違っても、肩書が違っても強い信念があればそれを受け入れるキャパシティーを成功者は待ち合わせている、ということです。

エンターテインメントの世界も、強烈に厳しいけれど、本当のもの、良いものを受け入れる寛大さがあります。

美樹さんも受け入れられた一人で、彼女自身にもまたその寛大さがあるのです。



今日、やっと観劇が叶うブロードウェイミュージカル「Beautiful」の音楽も日本人が作っています。ヒロさんは18才で単身NYへやって来た、私と同い年のいい奴です。今、日本の日生劇場で上演中の「デスノート」の音楽もヒロ。

彼の親切、思いやりも沢山受けました。



女子大生にしか見えない利恵さんも、ビヨンセのバンドの重要メンバーでヒロと同じバークリー音楽大学の卒業生。柔らかさの中にも、一本スッと筋が通っています。

ここで成功して、生き残っている日本人は一様にキチンとしています。中途半端なヘナチョコはいません。

それでいて皆、当たり前のように親切です。

一流の素晴らしさを目の当たりにして、刺激にまみれています。

 

神野美伽

MFC会報157(20152月号)より