ウチの犬たちは、特別にお利口というわけではないが、毎日、素晴らしい愛嬌を振りまいて私たちを和ませてくれている。
特に、7才になったハナコはまるで愛嬌が歩いているかのような人懐い犬で、かなりの食いしん坊でもある。
そのせいか、ハナコには特別に好きな言葉がある。
「おやつ」
その言葉を聞くと、眠っていても飛び起きて私のところへ一目散に走ってくる。
彼女は、ハッキリと「おやつ」という言葉を認識していて、「おやつ」がなんなのかを理解しているのだ。
「おやつ」の時間。
子供の頃の私には、特別な魅惑の響きであった。
Tea timeでもなければ、
Coffee timeでもない。
もっと、こう、有難い、何と言うか…「いただきます」と言う、ちょっと改まった感じがあった。
外で働くお母さんが朝出掛けに、「おやつは、戸棚の中に入れてあるからね。」なんて言ってくれると、学校から帰って戸棚を開けるときのワクワク感たるや、それは子供にとって堪らない喜びだった。
友だちと表で夢中になって遊んでいても、お母さんの「おやつよー。」のひと声で、何を放っぽり出しても家に飛んで帰った。
「おやつ」という言葉には、そんな特別な力があった。
とても幸せな思い出だ。
ふと思ったのだが、今の子供たちにこのワクワクするような「おやつの時間」というのは有るのだろうか。
どこにいても飛んで帰るような、そんな魅力的な言葉は存在するのであろうか。
「与えてもらう喜び」というものを感じることは有るのだろうか。
♪カステラ一番、電話は二番 三時のおやつは文明堂~
なんて、良くできた歌がテレビのコマーシャルで流れていた私たち子供の時分は、とても良い時代だったのだとつくづく思う。
このコマーシャルの通り、「おやつ」のやつと言う言葉は、時刻を表す「八ッ時」のやつ、即ち、午後二時から四時くらいのことを言っている。
つまり、その時間だから、特別に食べていいものだったのだ。
今の子供たちに、そういった意味での「おやつ」はもう存在しなくなってしまったのかも知れない。
いつだって、どこだって、この国の大概の子供の周りにはお菓子が溢れている。
朝起き抜けにコーラを飲んでも良し、ゴハンの代わりにケーキを食べても良し、或いは、それがポテトチップに代わっても良し。
好きな時に好きなものを食べることが当たり前の時代なのだ。
ワクワクしながらのお菓子を食べている子供なんて、もう居やしない。
神野美伽
MFC会報164号(2016年4月号)より