問題意識の教材化(MIK)ブログ

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子どもから大人までのあらゆる世代の学びに関する問題意識を問い続けます

夜話十六で金次郎が語っているのは、
一見するときわめて単純な話に見える。

多く稼いで、銭を少く遣(つか)ひ、
多く薪(たきぎ)を取(と)つて焚く事は少くする、
是を富国の大本、富国の達道といふ

働いて多くを得て、使う量を抑える。
これを「富国の大本」「富国の達道」だと金次郎は言う。

しかし、この言葉は当時も今も、強い誤解を招きやすい。

 

「吝嗇(りんしょく)」と見なされる理由

金次郎自身、その誤解をはっきりと見越している。

然るを世の人是を吝嗇(りんしょく)といひ、
又強欲と云、是心得違ひなり

ここでいう「吝嗇(りんしょく)」とは、
単に倹約しているという意味ではない。

使うべきところでも使わず、
自分の手元に溜め込む姿勢そのもの
を指す言葉である。

 

世の人は、金次郎の語る「貯える」という行為を、
そのような心の在り方と混同して見ていた。

だが、金次郎が語っているのは、
そうした自己保身的な蓄えとはまったく別のものだ。

 

人道は「自然に反する」からこそ貯える

金次郎は、その誤解を正面からほどいていく。

夫(それ)人道は自然に反して、
勤めて立つ処の道なれば貯蓄を尊ぶが故なり

自然のままに任せれば、
あるものは使われ、やがて尽きていく。

人道とは、
その流れに抗い、あえて残すことによって成り立つ道である。

だからこそ、人道は貯蓄を尊ぶ。

ここでいう貯蓄は、
安心のために抱え込む行為ではない。

 

「今年の物を来年に譲る」という意味

金次郎は、貯蓄の意味を次のように言い切る。

夫(それ)貯蓄は今年の物を来年に譲る、
一つの譲道なり

貯えるとは、
今あるものを、未来へ譲る行為である。

それは時間を越えた推譲であり、
自分だけのための蓄積ではない。

親の身代を子に譲るも、
則(すなわち)貯蓄の法に基する物なり

親が子に身代を譲ることも、
同じ構造の中にある。

貯蓄とは、
「自分の分を確保する」行為ではなく、
次の担い手へ手渡す準備なのである。

 

富国とは「多く持つこと」ではない

この文脈で読むと、
「富国」という言葉の意味も大きく変わってくる。

富国とは、

  • ただ多く稼ぐことでもなく

  • ただ支出を抑えることでもない

譲る余地を社会の中に残し続けることを指している。

だから金次郎は、最後にこう言い切る。

人道は言ひもてゆけば貯蓄の一法のみ、
故に是を富国の大本、富国の達道と云なり

人道とは何かと突き詰めていけば、
それは「貯える」という一点に集約される。

それは溜め込むための貯蓄ではなく、
未来へつなぐための貯蓄である。

 

夜話十六が示しているのは、
節約のすすめではない。

変化を前提とした世界の中で、
何を残し、誰に譲るのかという、
人道の根本的な構え
である。