私と食事と病気と母の愛のこと | 固定種・無農薬・無肥料食材をご自宅にお届けします。MADE in JAPAN100

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〜食から元気になりたい人の一番の味方〜
♪日本全国・健康幸せ家族♪
無農薬、無肥料の農作物を
農家さん直送でご自宅にお届けする
MADE in JAPAN 100店長 あやかです🥕


最近「料理」に関して考えることがあります。
今の私の気持ちをここに記録させてくださいね。



お店を始めた頃、
私は全くお料理が出来ませんでした。

「台所に立つ」ことに嫌悪感さえ感じ、主人は「この人と結婚すりなら家庭料理は諦めよう」と思っていたそうです。
(最近カミングアウトされました笑)


理由は2つ。
1つ目は、
料理をする機会が極端に少なかったから。

私は15歳の時に拒食症になり、160センチ28キロまで痩せ、鬱状態の生活を送っていました。

21歳頃にようやく人前でそれなりの食事が出来るようになり、それまでは食と向き合うことさえ怖かった。

詳しくはコチラをどうぞ


2つ目は、母が料理上手だったこと。
母は料理人でも何でもない、ごく普通の主婦ですが、料理がとても上手です。ハッとする華やかな調理というよりも、毎日食べたい安心できる、まさに母の味。友人にも「また食べたい!」と言われる、お料理上手な母なのです。


私はいつからか「母のような美味しい食事は作れない」と自分自身を勝手に決めつけ、行動しない理由にしていました。


でも

人生を考える時間をいただき、気づいたことは

「母の手作りご飯が私の人生の真ん中にある」


ということ。




拒食症を克服中の時、
母は私を想い、
ヘルシーな食事を作ってくれました。


でも、私は食べられなかった。
でも、何度でも母は作ってくれた。
でも、私が食べられるのはファーストフード。


当時はその理由が分かりませんでしたが、
今思うと「母の手作りご飯は愛」だったんです。

ファーストフードを否定するつもりはありませんが、母が私一人を想い、何度も娘に否定されながら、それでも私を想って作ってくれたご飯は「母の愛」そのものだった。


でも、当時の私は
「愛される資格のない自分」でした。

こんなにガリガリで、
家族には迷惑かけて、
友達にも心配かけて、
高校も出ていなくて、
何もできないわたし。

そんな、私は愛される資格はない。

そうやって自分をジャッジして、
愛を、母のご飯を受け取ろうとしなかった。


そして、さらに思い返すと、
拒食症になり始めた頃。

私は牛丼屋やコンビニの菓子パンでご飯を済ませることが多く、母のご飯を食べる回数が極端に減っていました。
ご飯は、食事をいただくことは勿論ですが、
周りとのコミュニケーションの場でもありますから、家族で食事をする機会が減っていたんです。

拒食症になる原因は人それぞれ、様々ですが、
私の場合は「寂しさ」からだったように思います。


そんな、私を救ってくれたのが
母であり、父であり、
主人であり、友達であり、
野菜やお米であり、農家さんでした。


長くなりましたので、
続きは後日書かせていただきますね😊

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あー、おいしく人参が食べられるようになって良かった〜(笑)

MADE in JAPAN 100 あやか