最近「料理」に関して考えることがあります。
今の私の気持ちをここに記録させてくださいね。
お店を始めた頃、
私は全くお料理が出来ませんでした。
「台所に立つ」ことに嫌悪感さえ感じ、主人は「この人と結婚すりなら家庭料理は諦めよう」と思っていたそうです。
(最近カミングアウトされました笑)
理由は2つ。
1つ目は、
料理をする機会が極端に少なかったから。
私は15歳の時に拒食症になり、160センチ28キロまで痩せ、鬱状態の生活を送っていました。
21歳頃にようやく人前でそれなりの食事が出来るようになり、それまでは食と向き合うことさえ怖かった。
詳しくはコチラをどうぞ
2つ目は、母が料理上手だったこと。
母は料理人でも何でもない、ごく普通の主婦ですが、料理がとても上手です。ハッとする華やかな調理というよりも、毎日食べたい安心できる、まさに母の味。友人にも「また食べたい!」と言われる、お料理上手な母なのです。
私はいつからか「母のような美味しい食事は作れない」と自分自身を勝手に決めつけ、行動しない理由にしていました。
でも
人生を考える時間をいただき、気づいたことは
「母の手作りご飯が私の人生の真ん中にある」
ということ。
拒食症を克服中の時、
母は私を想い、
ヘルシーな食事を作ってくれました。
でも、私は食べられなかった。
でも、何度でも母は作ってくれた。
でも、私が食べられるのはファーストフード。
当時はその理由が分かりませんでしたが、
今思うと「母の手作りご飯は愛」だったんです。
ファーストフードを否定するつもりはありませんが、母が私一人を想い、何度も娘に否定されながら、それでも私を想って作ってくれたご飯は「母の愛」そのものだった。
でも、当時の私は
「愛される資格のない自分」でした。
こんなにガリガリで、
家族には迷惑かけて、
友達にも心配かけて、
高校も出ていなくて、
何もできないわたし。
そんな、私は愛される資格はない。
そうやって自分をジャッジして、
愛を、母のご飯を受け取ろうとしなかった。
そして、さらに思い返すと、
拒食症になり始めた頃。
私は牛丼屋やコンビニの菓子パンでご飯を済ませることが多く、母のご飯を食べる回数が極端に減っていました。
ご飯は、食事をいただくことは勿論ですが、
周りとのコミュニケーションの場でもありますから、家族で食事をする機会が減っていたんです。
拒食症になる原因は人それぞれ、様々ですが、
私の場合は「寂しさ」からだったように思います。
そんな、私を救ってくれたのが
母であり、父であり、
主人であり、友達であり、
野菜やお米であり、農家さんでした。
長くなりましたので、
続きは後日書かせていただきますね😊
あー、おいしく人参が食べられるようになって良かった〜(笑)
MADE in JAPAN 100 あやか