鉄原、そして、そこに駐留する師団第3師団だけじゃないよ)についてもう少し調べてみました。2012~2016年の記事が中心で古いものではありませんガーン


☞ 鉄原にはいろんな師団の部隊が駐屯してるけど、その防衛の中心は第3師団なんだ…とか、

☞ 同じ鉄原に駐屯してる第6師団で暴行やセクハラがあったんだ…とか、

☞ 今年2016年に韓国首相が第3師団を視察に来たんだ、注目されてる部隊なんだなー…とか、

☞ 第3師団=白骨部隊のマークが変更されたのは2012年のことだったんだー…とか、

またいろいろ…へー!と思う記事を見つけたので記録キロク~。

これまでの記事はこちら。


 鉄原という都市 緊張と平和が共存する 「鉄の三角地帯」

一部抜粋↓
「休戦ライン155マイル」と呼ぶDMZの全体の面積の3分の1が鉄原郡に含まれる。つまり、鉄原郡には民間人が自由に出入りできない地域が多いわけだ。鉄原郡の統計によると、鉄原の人口は2013年6月末現在、47,588人(男性24,597人、女性22,991人)である。他の農村地域の郡と同じく鉄原の人口も減少傾向にある。
境界線に接する軍事地域であるため、鉄原には正確な規模は明らかにできないが、鉄原の人口よりも多くの軍人が駐屯している。
鉄原には白骨部隊(第3師団)を中心に勝利部隊(第15師団)、青星部隊(第6師団)、だるま部隊(第8機械化歩兵師団)などが駐屯していて、また一部の部隊の訓練場なども散在する。最近、芸能人らが部隊に入隊して1週間兵営生活を体験する「本物の男」というバラエティ番組が人気を得ているが、白骨部隊はネチズン(ネット市民)が芸能人に勧める「転入部隊トップ」となったこともある。
白骨部隊は国軍の日と深い関係がある。この部隊は1950年10月1日、初めて38度線を突破して北へ進んだ。イ・スンマン大統領はその日を記念して1956年10月1日を「国軍の日」として制定した。この部隊の伝統を受け継いで一部の連隊は有事の際に38度線の最前線に配備された突破連隊として編制されている。
 
 
南北軍事境界線の今
(1)緊張感につつまれ警備・訓練する若者ら
毎日新聞 2015年12月15日

一部抜粋↓
こちらの記事は第6師団についての取材です。
・鉄原は、北緯38度線より北に位置し、1945年の日本敗戦後、米国とソ連による信託統治時代は北朝鮮に属した。交通の要衝であり、米どころでもあるこの町は、朝鮮戦争で最激戦地となった。
体力が重視されるこの部隊にこれまで女性は一人もいないという。
・2015年8月には、軍事境界線からわずか440メートルの韓国側非武装地帯(DMZ)で地雷3発が爆発し、20代の兵士2人のうち1人が両足を、1人が片足を切断する痛ましい事件となった。
・大隊の任務は、小銃や機関銃を持ち、北朝鮮側からの不意の攻撃に備えること。DMZには今も地雷が多数埋設されており、地雷のないことが確認されているルートのみを慎重に歩む。それでも、8月の地雷事件は「いつも通っていた、安全であるはずの道」で発生しており、常に危険と隣り合わせだ。
・ここで勤務する兵士は、常に北朝鮮軍とにらみ合うことによる過度な緊張やストレスから、不眠に悩む者も多いといい、軍内での乱射事件しばしば起きている
最高度の軍機密として、写真撮影はもちろん、録音やメモ取りも禁止
携帯電話の持ち込みもできない軍部隊での生活。除隊に向け、肌のお手入れも欠かさないといい、愛用する化粧品は「ネイチャー・パブリック」と、若者らしい素顔を見せた。

14枚の写真が見られるリンクはこちら
{67453097-66A8-42C4-A143-C713545BFF20}

{BA74C005-102A-43D0-84C3-8BAB0C064DA1}

{8CF530BD-884A-4054-8169-38A3F00F534A}

 
南景弼知事の長男、新兵への暴行・セクハラ疑惑で取調べ
東亜日報 2014年8月18日

一部抜粋↓
江原道鉄原郡の陸軍第6師団の部隊で、新兵を暴行し、セクハラをした疑惑で軍当局の取調べを受けている。
 
 
韓国首相が軍視察で無邪気に凡ミス?
2016年2月4日

一部抜粋↓
黄首相はこの日、江原道鉄原の陸軍第3歩兵師団を訪問、南北軍事境界線近くの警戒哨所などを視察。
 
 
陸軍第3師団「白骨部隊」、名前のイメージに合わせてマークを変更
2012年12月3日

一部抜粋↓
中部戦線最前方である江原道鉄原郡に位置した陸軍3師団が部隊マークを‘白骨'に変えた。‘
{22C170BA-4332-4B32-93D2-4EC649409856}