小さかった頃の自分に
あのとき辛かった自分に
今のあなたならなんて声をかけますか?
ただ寄り添ってあげて
親友に声をかけるように、自分に声をかけてあげてください。
自己肯定感の低い人は、自己肯定感を上げるワークでこういうのに当たったことがある人もいるんじゃないでしょうか。
私も、カウンセリング受けてた時に、言われたことがあります。
けど、これってみんな答えられるものなんですか?
親友に声をかけるようにって、友達もいない私にはよくわからないし
何よりあの頃の
「自分がいなくなればみんな幸せ」と信じて疑わなかったあの頃の私に
いったいなんと言えるのだろう?
7歳の小さな体で、自分にできる周りを幸せにできる方法が「消えてあげること」しかわからなくて
窓枠に手をかけていたあの頃の私に、一体何を言えばいいのだろう?
これが甥っ子や姪っ子、友達や他人なら
「死んじゃだめだよ!生きててほしいよ!」
って無責任に言えるのだろうけど、あの頃の自分にそれが言える?
あの一線を越える勇気がなくて、どちらにも進めず固まる自分になんて言えるのだろう?
「私がいないほうがみんな幸せだから」
7歳の私が私にそう言ってきたら、「そうだね」としか言えない。
「お母さん悲しむよ。みんな悲しむよ」なんて言っても、7歳の私はそれくらい知ってる。
知ってるからこそ、一線を越えられなかったんだ。
私がいなくなったら悲しむ「みんな」は
私が生きてるときは私を見てくれない。
ああ、そうか。
私は見て欲しかったのかな。
「ここにいる」って気付いてほしかったのかな。
ただ、抱きしめて欲しかったんだろうか。
それとも怒られたかったのか?
「みんな」姉さえいればいいように見えた。
父は私のことが好きではなかったようだし(物心つく前に離婚していなかったから真実は知らんけど)
母は愛してくれたのは知ってるけど、迷惑ばかりかけた気もする。
私が学校行かなくなったり
従兄弟達とうまくできなかったり
私のために好きだった仕事を辞めてくれたり
私がいなければ
生まれたのが姉だけだったら
母はこんなに苦労しなかったんじゃないかな?
そう思って、あの窓の前に立つ私に、一体なんと言えばいいのだろう。
あの頃の私は、どうすれば笑ってくれるんだろうか?
今、私は恋をしている。
速攻で失恋したけれど。笑
その人と会って、「愛されたい」と願い続けた私が「愛したい」と思って
けど、その人は他に大好きな人がいる。
入り込む余地などないのだけど、男性とちっとも仲良くなれない私が仲良くなった人だ。
自己否定の根強い、このままの私で仲良くなった人。
仲良くなっても付き合えないの!!?という衝撃とともに、私は愛し方を知らないと気付く。
私の愛し方は、相手の幸せのために「私が消えてあげること」だ。
私が関わらないこと。
けど、関わりたいのだ。
関わった上で、相手を喜ばせたいのだ。
そんな方法、全然知らない。
だって、唯一の喜ばせ方が消えることだったんだもの。
それに気付いて、私は根っこの「自分がいないほうがみんな幸せ」という信念をどうにかしたいと初めて思った。
大好きな人に近づきたい。
大好きな人のそばにいたい。
大好きな人を愛したい。
もちろん、愛されたい。
私が側にいて、喜ばせたいのだ。
消えることで、ではなくて。
触れたいし、抱きしめたいし、笑顔が見ていたいのだ。
7歳の頃にはすでにこの信念を確立して生きてきた私は、ここからどうすればいいのだろう。
あの頃の私にかけられる言葉はまだ見つからない。
大好きな人に
一緒にいたい。大好きだ!
と、素直に言える私になりたい。
私といれて、嬉しいでしょう?
と、茶目っ気たっぷりに言いたい。
どうしてあげたらいいんだろう。
この信念を崩すには、何をすればいいのだろう。
自分から人に関わっていこうと思うだけで怖くて逃げ出したい。
根っこをどうにかしたい
こんな気持ちをくれるのだから、恋とは恐ろしいものだ。
