世の中の絶望的な事はいくつあるのか?
それは本当に絶望的な事なのか?
自分に問いかけてみよう。
お金が無いことは絶望的な事なのか?
お金が無いと生活できないのか?
社会で生活していれば必ずお金は必要である。
その為に成人になれば労働の義務が発生している。
働けばお金が手に入る、生活するのに必要な分のお金は手に入る。
逆に働かなくてもお金は手に入る、借金というものがある。
もちろん働いていないと借りられなかったりするし
働いて返すのが前提となってくるが、
給料よりも多くのお金が手に入ることもある。
欲しいもの、やりたい事がすぐ入ってくる。
今生きている世の中は欲を満たす種類がたくさん溢れている。
人間が生きていくうえで必要なものは「衣 食 住」とあるように着る物と、三食の食事、生活の拠点にする為の住まいである。
その3つの事だけでも安いものから高いものが存在する。
さらに生活していく中で楽しむ為の娯楽の道具や旅行、
ゲームスポーツ、あげていけばきりがない。
それを生活費の範囲内でそういった
娯楽をしていけば良いのに悲しい事に周りの人を見た時、
周りを見渡した時に自分にはできないことをしている人に
憧れを持つようになる。
あるものだけでもちろん生活はしていけるのに
僕達は良いものを欲しがる。
確かにそれを手に入れる事をモチベーションにして
仕事を一生懸命して、手に入れる人もたくさんいる。
しかし自分はギャンブルで、借金で
それを手に入れようとしてきた。
手に入れられないお金、自分のものではないお金を手に入れ
単純に欲しいという欲求だけで行動してきた。
結果どうなったか…
自分は破綻した、
自分だけでなく周りもめちゃくちゃになっていた。
しかし社会はそんな自分を救ってくれた。
自己破産や狂った自分を更生させるために動いてくれている。
僕は絶望的だと思っていたが、絶望ではなかった。
世の中には自分を助けてくれる人々がいる。
時代が進むにつれて複雑になったこの世の中には、
同じように絶望をむかえる人々が沢山いた。
人々はそれを放って置かなかった、手を差し伸べてくれている。
世間は誰も見捨ててはいなかった、
全くの赤の他人が見知らぬ僕を助けてくれている。
一人じゃない
どんなに一人ぼっちとはいえ助けてくれる人の手に
手を差し伸べるのは自分だという事を忘れてはならない。
助けてくれる人をはねのけてしまえば
自分はずっと絶望的で一人ぼっちのまま…
その中で「誰も助けてくれない」と言うのは
ただのワガママであって
自分勝手な思い込みであり、
とても恥ずかしいことである。
自分がそうしたいのであれば
「自分は絶望的になりたい」
「一人でずっと苦しんでいたい」
と言うべきである。
だが残念な事に今の世の中は誰もほうっておかない。
必ず手を差し出すし無理矢理でも助けてくれる。
僕達は絶望的になりたくてもなる事はできないのである