フォロアーの皆様、わたしのパートナーは、闘病2年間弱、自宅でわたしと実母の看取る中、旅立ちました。8月11日の午後のことです。

7月15日、ポートを入れるミニ手術を受けるため、一泊二日の入院予定でしたが、貧血がひどく、輸血か必要な状態で退院が延びました。

7月17日、主治医から電話があり、終末に向けた方向性を考えておいて欲しいとの内容。

7月18日、貧血の原因がわかり、状態が改善することで退院して自立した生活が出来るのが
抗がん剤治療の再開には必要とのこと。
選択肢は無くなってきた。入院してる間に時間は進み、癌の痛みは増してきてる。

この頃から、パートナーはスマホの操作ができなくなってきました。また、少し話しの辻褄が合わない気もしました。
輸血と点滴と痛み止めの毎日。

そして、気胸と肺気腫が続け様に起きました。
このことだけは、医療者に少し疑念というか、怒りを感じました。

7月25日、早朝4時、主治医から電話があり、ひどい肺炎で人工呼吸呼吸器をつけなければならないかもしれない、と。結果、持ち直しはしましたが、主治医は、ひと月持つかどうか…。
輸血は、治療のための行為であり、延命のために、ずっと続けることは…、と。
退院できるなら、退院し、すきなモノ食べて、在宅で緩和ケアする事を決意し、7月29日に退院しました。

私も、25日から期限を決めずに休暇を取ることにし、介護に備えることにしました。

退院してから、自分の名前が書けない、今日の予定が覚えられないなどの症状が強くなり、脳の検査でトルソー症候群という脳梗塞の一種という診断…体も心も、終わりが近づいてきました。

在宅介護をしばらく続けましたが、これ以上の介護は無理と判断して、8月12日の午前中にホスピスに入院することが決まり、帰宅すると、痛みで悶えているパートナーに痛み止めのオプソを飲ませたパートナーの実母がいて、そのあと、私がオキノームを観ずに溶かせて飲ませました。
パートナーはそのまま、眠り、目をさますことはありませんでした。

元々、見舞いに来る予定だった、子供達は息を引き取った後、到着。まだ、体が暖かいパートナーの体に触れることはできました。

8月、9月のふたりの子供達の挙式を目前に、一日一日を丁寧に大切に生き切ったパートナー。

今まで、フォローいただいた皆さん、本当にありがとうございました。