他人って自分が思ってるよりずっと他人で、

他人って自分が思ってるよりずっと自分のことなんてどうでもよくて、

だから周りにどう思われてるかなんて考えるのは時間の無駄でしかない。


自分が誰と付き合おうが、誰とどこで何しようが、誰と別れようが、泣こうが笑おうが叫ぼうが、究極言ってしまえば死んでしまおうが、他人からしたらどうでもいい他人の事情でしかない。


他人から見た自分は所詮他人でしかないのだ。


他人の目を気にすることは大事かもしれない。

だけど他人の目を気にすることで、

向けられる目の冷たさに気づくことで、

どうしても生き辛さを感じてしまった。


だから私は他人の目をみないし、

すれ違う人の顔もみない。

仲のいい友人にどう思われるかなんて考えないし、

家族にどう思われるかさえ考えはしない。


他人は他人だと割り切って自分は自分だと割り切って生きている。



ここでいう他人という言葉は、自分以外の人をシンプルに指しており、自分以外は全員他人という位置付けにされる。



こんな私に対して、可哀想な子だとか、寂しい子とか冷たい子とか自分本位なやつだという人がいる。

だがそれがどうした?

私は私自身を可哀想だとも寂しいとも冷たいとも思わない。自分本位だと言われても当たり前だ。

自分が一番かわいいし自分が一番大事だ。それで何が悪い。


一番可哀想なのは、自分自身で自分自身を可哀想だと思った時だ。


こんなことを言っているが、私は人並みに友達はいるし家族もいるし恋人にも困ったことはない。


孤独だと感じたこともないしこの考えで人生損したこともない。


むしろ他人は他人と割り切って他人の視線をシャットアウトすることにより生きやすくなったとさえ思う。


SNSの炎上騒ぎほどくだらないことはないなと感じる今日この頃

他人の意見を否定する必要もないし

自分の意見を他人に対して強要する必要もない

そもそも人に指摘されてはいそうですかと簡単に考えや行動を改める人などそうそういないのだから。変えようとするだけ時間と労力の無駄。

そんな暇があるなら働けと思う。


自分を守れるのは自分だけだ

こんな小さい端末上の文字に

私自身を傷つける能力はない。


いつまでも私は私なりの強さを持ち続けていたい