猫のこと
先日、更新した記事、母が読みました。
母は私がブログをやってることは知っていたのですが、ブログの仕組みやSNSのことをまったくわかっていないし、興味も持っていない、のですが。
私はクーラーのきいた居間でブログを書いています。
更新したあと、背伸びをして一息ついていたら、『ブログ見せて』と。
今まで、まったく興味をしめさなかったのに、よりによってこの記事。。。
私は、いいよ、とタブレットを母に手渡し、自分の部屋へ。
数分後、居間に戻ると、『見せてくれてありがとう』と。
もしかしたら、というか、確実に何かを感じたと思います。
ブログだからつづれる本音。家族にも彼にも言えない本音。
ここなら私の醜い心もさらけだせるような気がするのです。

もしかしたら母は、私の本音に傷ついたかもしれません。そしてびっくりもしたと思います。
見せてくれてありがとう。それ以上は何も言わず、ほかの話題へ。
心で泣いていたのかもしれない。落ち込ませたかもしれない。泣きたいのを我慢していたのかもしれない。
私が消えてしまいたいと思っていたこと、いないほうがいいと思っていたこと、ずっと孤独だったこと。
愛されているとわかっていながら、こんなふうに思ってごめんね。心配かけるばかりで、何の親孝行もできなくてごめんね。まだ恩返しできなくてごめんね。こんな醜い娘でごめんね。
見せてくれてありがとう。その一言が、ずっと心に残っています。
話題は変わりますが、このブログを立ち上げようと準備していたころ、うちには2匹の猫がいました。
猫の写真をたくさん載せたい。そう思ってブログ名にも、猫がついています。
だけど猫も歳を重ねていく。病気にもなる。突然いなくなってしまうこともある。
最後の猫が旅立ってから、半年以上たちました。
私の父は、この家のあととりなので、私は生まれてからずっと祖父母と一緒に暮らしていました。
猫好きな祖母。いつも猫にかこまれていました。
猫のお母さんでもあった祖母。毎日のエサやりや、ブラッシング。ときには仔猫に哺乳瓶でミルクを与える。
祖母が天国へ旅立って、私は5匹の猫のお母さんになりました。
祖母が残してくれた5匹の猫たち。
その後も迷い猫や捨てたら猫との出会いもあり、20年近く猫とともに過ごしてきました。
猫のいない生活。たしかに楽ではあります。猫の病気やケガの心配をしなくていい、エサ代はかからない、病院にもつれていかなくていい、家は破壊されない。そしていつかくるであろう旅立つとき。それを考えずにいられるのは、すごく楽で自由ではないか。
ただ最近、旅猫リポートを読んで、猫への気持ちが強くなっています。
本当は飼っていた猫たちのことを思うと眠れないのです。
猫もみんな性格や個性が違う。
帰宅すると車まで走って迎えにくる子。
私の一歩さきを歩き、いきなりゴロンして撫で撫でを要求する子。
私の顔をじーっと見つめ続けて、愛情パワーを送り続けてくれる子。
キレイキレイするよ、と言うと高いところからまっさきに飛び降りてくる子。
歩き続ける私のそばをピッタリついてきて離れようとしない子。
どの子も愛しく可愛くて。
忘れられなくて引きずる自分が情けなくて。
まだ切なさや寂しさが抜けきれない。
過去を引きずる悪いクセ。
捨てられた仔猫に出会う夢まで見てしまいました。
実際どうするかも決められずにいるけれど。
これが今の心境です。
仕事復帰
お久しぶりです。
なんとか仕事に復帰し、1ヶ月ちょっとたちました。
まだまだ毎日がいっぱいいっぱい。気持ちにも余裕がありません。
前の記事にも書きましたが、休職期間、家族に投げつけてしまったひどい言葉。
あれだけ後悔、反省したにもかかわらず、再び泣きながら攻撃してしまいました。
母もストレスがたまっていたのだと思いますが、喧嘩になったときはお互いに、ひどい言葉をぶつけ合う。
何度も泣いて、不安と絶望を繰り返す日々。
良からぬこともたくさん考えてしまいました。
いっそ家族にも彼にも見捨てられ、まわりのみんなからも見放されたら、楽になる道を迷わず選べるのではないか、でも死ぬのはこわい、痛いのもイヤだ。。。でもこのまま生きて何の意味があるのだろう、など。
完全にどん底な状況でした。
もう何もかもがどうでもいい、みんなは楽しく笑って過ごせばいい、私はいないひとだと思っていい、
私には生きてる意味がないのだから。辛すぎて、家族の笑い声さえ苦痛でした。
たくさんの愛情をそそいでくれているとわかっていながら、家族にも彼にも愛なんてもてませんでした。
こんなダメな私を、こんな醜い心の私を、だれひとり見捨てなかったのです。
気にかけてくれる友達がいて、同僚がいて、幸せなはずなのに。
毎日が辛くて悲しくて切なくて、不安と絶望におそわれる。体調不良への恐怖心。
ひとりじゃないのに感じる孤独。心がずっと、ひとりぼっちだったのです。
毎日、鏡を見るのもイヤでした。どんどんくすんでいくような気がする。どんどん醜くなっている気がする。
家族はともかく、彼は私のどこがいいのかまったくわからない。
仕事にも不安をかかえながら、の復帰でした。
復帰できたことで少しは元気になりました。でも毎日が精一杯。
不安感やプチうつはかかえたままです。なかなかうつ抜けできず。
仕事やお出かけのときも薬が手放せません。
時々、寝込むこともあります。
元気じゃなくても、元気なふりをすることもあります。
まだ自分でも、どうすれば良くなっていくのか、前向きになれるのかわかりません。
気の持ちようだとはわかっているのですが。
赤裸々に気持ちを綴ってしまいました。こんな状況だったのです。
インスタでもたくさんの応援メールが届きました。
その中で、過去に壮絶なうつ病を経験したかたから、こんな言葉をいただきました。
『必ず光は見えます。人生は苦くも甘く素敵なのです。』
調子が良いときには多肉事を少しずつ。普通の生活ができることって本当にありがたいことです。
まだまだ家族にも迷惑、心配かけてしまう状態です。恩返しなんて、そんな余裕はまだありませんが、
再び愛情を持つことはできています。
久々に小説を読みました。読者で泣いたことのない私が、はじめて泣いた本。
まだ不安定は続いています。少し無理してしまうこともあります。気持ちにもあまり余裕が持てずに
本当に精一杯な毎日です。
いつかうつ抜けできるときがくると信じて、前向きに過ごしていきたいです。
休職期間
ブログにコメントかメッセージをいただいているようなのですが、なぜか反映されずに



見ることができません。もしコメントかメッセージを送ったのに返信がない!というかたがいましたら
本当にごめんなさい。
私は前よりは回復してると思いますが、まだ体調に波があり、安定しているとは言えない状態です。
休職期間も1ヶ月伸ばすことにしました。
良いときとは何でもできるのですが、不調の日もあります。
まだ自信を持てずにいます。
多肉ごともボチボチやっています。

多肉棚で有名な40rouさん作の木製プランター。エケベリアたちを並べて植えています。
これ、すごくお気に入りで、また作ってほしいとお願いしました。


幸せなことだな。
うつ病と不安障害。
ずっと長い間、薬を飲んでいます。
そして体調不良と戦いながら、短時間のパートで働いていました。
休職になるほどの体調不良になってしまったのは、通院していたクリニックを変えたからです。
クリニックを変え、薬の処方も変わりました。これから時間をかけ、少しずつ薬を変えていくようです。
長い間、服用していた薬を変えたことへの不安や、離脱症状などで体調をくずしてしまいました。
精神的な不調が、身体全体を不調にしてしまいました。
クリニックを変え、薬を調整しながら、回復を目指しています。医師を信頼して一歩ずつ。
私に合った薬を処方しようと、私の不安や症状をこまかく聞いてくれます。
そして薬についても詳しく説明してくれ、私の意見も聞いてくれます。
なぜ、こんなことを書いたのか?と思われるでしょう(笑)。
それは、私と同じような症状を持った人がいると思うから。
なかには誰にも言えず苦しんでいる人もいるかもしれません。
ひとりで泣いている人がいるかもしれません。
不安定な私が言うのも変ですが、薬を頼るのも良いと思うのです。
心療内科を受診しても良いと思うのです。
私、不安定ですって言っても良いと思うのです。
ありがたいことに私の家族、彼、友人、職場の人たちは病気のことを理解してくれてます。
まわりのひとみんなが、というわけではありません。
理解してくれるひとは必ずいますよ。
私、こんな素敵な鉢を選ぶこともできます(笑)。
薬に頼りながらですが、元気な自分を目指しています。
















