久々のブログ書き込みなのですが。。。
私事の生活がいろいろ落ち着いてきたので
回顧録として簡単に記してみようと思います。
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最近…
瑛太クンのお父様の自殺や
NZの地震での非災された方々のことなど
心痛いたたまれないニュースを耳にして
当事者本人や家族、関係者の気持ちは
計りしれないと思います。。。。
震災に関しましては
まだ見つかっていない方々の生存の奇跡を…
ぜひ救出してもらいたいと願うばかりです。
また
亡くなられてしまった方々の
ご冥福を心よりお祈り申しあげます。。。
暗い前置きからの書き出しで申し訳ありません。
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瑛太クンのお父様の自殺のニュースを知って
今、あらためて<命>について考えさせられました。
私は去年9月に妊娠が判りました
10月には切迫流産から約2週間入院して
赤ちゃんもがんばって心拍も確認できて退院
いよいよ母子手帳もいただき初めての妊婦健診の時
・・・心拍が確認できない
1週間後にもう一度再検診しましたが
やはり心拍確認はできませんでした
成長も止まっていて…私のお腹のなかで死んでしまいました
心拍が確認できてからは特別な症状も(出血や腹痛等)なく
順調に育っているものと思ったりしてたのですが…
母体のお腹の中でなくなってしまうことを稽留流産といいます
11月の初めに手術して赤ちゃんとサヨナラしました
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そんな矢先…
赤ちゃんのことを悲しむ時間もなく
お母さんがガン治療のため再入院
いろいろ検査して色んな所に転移していることが判りました
11月の半ばに再手術
それからは毎日病院通いに付き添い
お仕事でも休日はあるのに1日たりとも休まずに毎日病院へ
クリスマスイブに悲しい宣告
主治医から「年越しは…無理かもしれません」
その夜は泣きながら帰りました
でもお母さんは頑張りました
年末~お正月は自宅に帰りたがってたけど
病院で年越しです・・・
大みそかの日はダンナ君と年越しそばを作って
病院で一緒に過ごしました
お母さん曰く
「病院で年越しなんて…こんな大人になっても
まだまだ初体験することがあるんだね~」(笑)
冗談言って明るくいい年越しができたのかな
年明けには緩和ケア専門の病棟がある病院に転院
転院もお母さんが生きるための希望と決意しました
末期ガンの痛みと息苦しさとの戦い
私も泊りこみで付き添い
緩和ケアは手厚くやっていただきましたが
ガンの猛威は軽減できず・・・
お母さんは私の赤ちゃんの所へいってしまいました
でも前の病院で
「年越しは無理」と言われましたが
年も越せて24日も頑張って生きたと思います
2月24日は亡くなって1ヶ月の月命日でした
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私の赤ちゃんへ思うこと
天使になった赤ちゃんに意味があるとしたら
妊娠が継続していてお腹が大きくなり
もし、つわりでも酷かったら
毎日お母さんの看病をできなかったかもしれない
<お母さん(おばあちゃん)のそばにいてあげて…>
天使になって教えてくれたのかな…って思います
弱弱しくなっていくお母さんをみるのが
正直辛いときもありましたが
辛いながらも毎日そばにいることができてよかった
今は天国で
おばあちゃんと孫で幸せにしてるかな
お母さんは私より早く赤ちゃんに会えてるんだね
~二人でずっとみんなを見守っていてね~
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「命」
大切にしてほしいです
瑛太クンのお父さんの自殺…
それに至るまでに辛い事情や背景があると思うと
とても悲しいことですが…
生きたくても…
死にたくなくても消えてしまう命もあるというのに
なんとも言えない言いようのない感情があります
私はお母さんが寝たきりになっていても
お母さんが生きていたいと思う限り生きていてほしかった
…生きていてほしかった
欲を言えば
赤ちゃんも無事に育てたかった…
今となっては叶わない希望になってしまいましたが
それでも私は
天使になった赤ちゃんの分とお母さんの分も
一生懸命生きてまた次に授かるであろう
「命」を。。。
繋げていきたいなぁと思います
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