☆『正しいかどうかではなく

「気がすむ」かどうか』


『絶対にダメ』って怒るといつまでもギャーギャー泣くけど

1回さわらせると落ち着くことってある


やっぱりまず相手の話を全部きいてあげる

やりたいことをまずやらせてあげる

それから、相手にやってほしいことを提案する


これが大原則


正しいかどうかではなく

誰かの「気がすむ」かどうか


要は、なにをすればその人の気がすむかっていうことをクリアしないと、次にいかない


ダメって言ってもやる

やって失敗したら気がすむ

自分がいいって思ってたのと違った


人から言われてその選択肢をなくす判断は、その人のなかにない。

だから、最終的にはひとのいったこちをやるけど、

その前に自分でやらないことはぜったいに納得しない。


グチも全部聞かないと次に進まない


☆ まちがいには2種類ある


直したほうがいいまちがいと

直さなくていいまちがいだ


まちがえているからこそできること、まちがえてるからこそその人の個性になっていることがたくさんある。

だから、直さなくてもいいまちがいってある。


これは直せないってわかったら、

もう自分のチャームポイントにするしかない

直さない方が自分らしくなる


すべてが正解な人なんかいない


みんなそれぞれ間違えている


☆ イライラしたら、

環境をかえる


☆ こんなことやっちゃだめ、

こんなことしたら怒られるとか、

いつも心配している


結局、失敗するのが怖い


失敗してもいいんだよって言いたいし、言ってもらいたい


どこまでなら失敗してもいいですか?があれば楽なのかも


ここまでだったら失敗しても怒られない、

やっても大丈夫っていうことを事前に聞ける雰囲気が、

実は何かをやろうとするうえで

いちばん大事なんじゃあないでしょうか


☆ きみの一部がほしんだ、全部いらないんだ


ひとりの人間は、そこまで人に、十把一絡げに何かを判断されるべきものじゃない


一部だけでも欲しがってもらえていることは幸せだ


☆ 肯定力


自分を肯定できないならば、

せめてだれかを否定したい


自分が肯定される、されたいっていうのは、

それこそ欲としてすごく根源的にあるけど、

なかなか満たされるものではない


だからこそ、みんな、どうすれば「いいね」をもらえるか、

どうすればほめてもらえるか、

どうすれば自分がもてるかっていうことを

必死で考える


それが思い通りにいかないときに、

せめて他の人を否定してやろうっていう気持ちになりがち


自分が褒めてほしいんなら、

じゃあ他の人を代わりにほめようって選択肢はあるはずなのに、

それをする人はあまりいない。


喜ぶ顔がみたいと怒った顔をみたくない


母親からほめられたいっていう気持ちと、母親からどうすれば怒られないだろうかの気持ちを、どっかで混同して、間違えて育った感覚がある


褒められたい気持ちが、怒られたくない気持ちになる


自分が肯定されたいが否定されたくないになってしまった

それが一歩進むと,

今度は、誰かを否定したいになってしまうかも


☆ なぜうまくいかないか…


教えてくれるひとがいれば、結構、いろんなことがうまくいくかも