※鶏の死骸の写真出ます。苦手な方はスクロールしないでください。
鶏の孵卵をやろうと決めたときから、決意していた。
卵を孵せばオスも生まれてくる。
採卵用の鶏が居たら…と夢見ていたが、都合よくメスばかり生まれるはずもない。
そしてヒヨコの雌雄判別もできない。
オスだから里子に出す、といっても飼ってくれる人なんてそう簡単に見つからないだろう。
いただこう。
私がこの手で命を奪い、その肉をいただこう。
私が孵したヒヨコたちは私の友人知人のところへ旅立っていき、やはりと言うか、オスは立派になって帰ってきた。
ボリスブラウンという種類。
握りつぶせるほど小さなヒヨコは恐ろしいまでの成長をし、うちの犬ほどの重さがあった。。
そして。
町内に響き渡るんじゃないかってほどの声量で鳴く。
あぁ…1日たりともうちでは飼えない。
ただでさえウルサイ我が家。
雄鶏はダメだ。
今日やる。
人によく慣れたニワトリ。
私が愛玩用に飼っている鶏よりずっと懐っこい。
美しい羽根、綺麗な瞳。
でも私は殺る。
ゴメンネ…ゴメンネ…と言いながら私は首の骨を外し首を握って完全に絶命するまで鶏の体を押さえた。
何度か脚をバタつかせ、瞳孔が一瞬カッと開いた後、ゆっくりと静かに光を失っていった。
脚を縛り吊るして首を切り血抜き。
一旦仕事へ行き、戻ってから毛をむしり、内臓の処理をした。
お湯に浸けると羽が抜きやすいのは知っていたが、その工程は端折った。羽根を抜く段階が一番疲れる。
不慣れな手つきで解体。
普段スーパーで目にするブロイラーとは違い、皮がとても黄色い。
そして捌くときの匂い。まだほんのり温かいのもあり、血の匂いと内臓の匂いが鼻をついた。
焼き鳥でも嫌いだが、ボンジリ。たぶん二度と食べない。
砂ずりは猛禽を飼い始めてから食べられなくなった。
レバーも私は食べられない。。
ので内臓の類は猛禽とトカゲに与えた。
夕飯時に旦那と息子にモモを焼いて塩コショウして出してみた。私は一口だけ食べた。少し固いけど味が濃い。
捌くまでは食べるべき!残すなんてとんでもない!!と思っていたが、実は私は食べるのを躊躇った。
あの匂いで相当ダメージをくらっていたし、とても疲れてしまった。。
でもそんな失礼なことしてはいけない!!と思い直し胸肉とササミを焼いていただいた。
普段食べているものより弾力があり、でも全然パサついていなくて人が捌いてくれたものなら無邪気に美味しいと食べられただろう。
とても複雑だった。
今まで何も考えず食べていた。
ケンタッキーも大好物、軟骨の唐揚げも大好き、チキチキボーンの開発者は天才か?!と思っていた。
そして食べきれないほど買っては何も考えず残したり、腐らせたりしてしまっていた。
申し訳ありませんでした。
育てること、屠ること、加工すること、全てに感謝しなければと痛感させられた。
余談だが、食育として鶏を絞めて食べてみよう!というのは子どものうちはやめておいた方が私は良いと思った。自分の意志で決めないと、子どもには曲がって伝わってしまいそうだと感じた。
罪悪感や、血に対する恐怖感は持っていて当たり前。トラウマになってしまいそうだ。
そして自分の意志ではなく他者に指示されて命を奪うのは良くない。
色んな考え方があり、体験ツアーなどもあるが、私はやめておいた方がいいと思う。