就業の日が近い。
今のうちに私がやりたいことを全部
やるのだ。
母は、妙に頑固だ。
ヘルプを滅多に出さない。
娘(私や妹)に対してもいつも遠慮する。
さっさと助けを求めていれば
ここまで重症化せず機能を維持出来た
臓器もあるだろうに、と思う。
何度もICUに入り、肺は40%しか機能して
いない。それでも酸素はつけない。
まあ70になるまでそれでも生き残ってきた
のだから、気も大事なんじゃないかと思わせる。
母の主治医ドクターO👨に、最後の診察と
転院手続をお願いしに行った。
ドクターOは、以前にも触れたが
私と同い年だ。
母がお世話になり始めの頃は、
確か平ドクター🤭
今は膠原病内科の権威、そして内科部長だ。
お会いするのはまた数年ぶりだと思う。
🥺「こんにちは!お久しぶりです。
大分お世話になりましたが、
母がこちらへの通院が遠くて年々キツいと
言うので、最寄りの基幹病院に転院させて
欲しいと思いまして」
👨「お久しぶりです!あれ??
何か大分雰囲気変わられましたね🤭」
ドクターO、いきなり私の見た目の変化を
突っ込んでくる笑笑
(いや、貴方こそ大分貫禄が、、、、🤫)
🥺「(髪触りながら)あ、これはね。
私も数年前から乳がん治療してまして💦」
そう。
長かった髪だがもう伸ばすとハゲた時に
虚しいので、伸ばさないことにしてるのだ。
サッパリショートヘア✨
👨「それはそれは!、、、、」
ドクターO、明らかに失言したーという
表情になった。
まあ、そんなんどうでもいいで😆ドンマイや。
気にする私ではない。
👨「転院は良いんだけど、先が臨時の人しか
居ない病院で、心配です🙄
私の名前出してもらって良いので、
手に負えない時はまたこちらに戻しますから」
🥺「それは、しょうがないし心強いです。
是非よろしくお願いします。」
これを、、、、で、駅ナカで買った菓子折り
渡す。安い挨拶だけどほんの気持ちだ。
母の病院は、私が首都圏勤務時代から
度々お世話になっていて、
それこそ「第二の我が家的な場所」
になっている。
屋上ヘリポートを姪っ子と暇潰しに
見に行ったり、手術待つ間も部屋や待合室
で過ごしたり。
長く通い過ぎていて、思い出はいっぱいなのだ。
重症→それでも退院してまた、日常生活を
送れるまでに回復💪
どれだけ泣いて、迷って、選択して、の
年月だったことかと思い返す。
🧑🦳「さようなら」
母が、言っている。
(いや、ほらまだ4月行くんやで笑笑)
さあ、JK拾ってコンサート行こうか😆
昨夜の夕食
オニオングラタンスープ
アボカド、海老、じゃがいも、レタス、ベーコン、紫玉ねぎ、ブロッコリー、パルメザンチーズ、水菜
ブラボー🙌👏👏👏👏👏
素晴らしいな😆✨✨✨✨
ラフマニノフ、好きだーーー!!!
今は、すっかり聴く専門の人になっているが
かつては舞台側にいた🎷🎺🎸🪕🎻📯
合奏で、舞台で心一つにする
アンコールの感激。
今でも忘れないのだ😆🎶