振り返りの続きです。
就労施設に行き始めた時、施設長さんから日頃の生活の様子を教えて欲しいと言われ、文書にしたものです。
平成31年2月
起床時間は毎日6時45分くらいです。(「おはよう朝日です」が始まる時間)
朝食は結婚当初から取らない習慣ですので、コーヒーを一杯飲んでいます。
8時からMHKの朝ドラ「まんぷく」を見ます。たまに主題歌を鼻歌で歌っています。
8時15分、私が出勤しますので(「まんぷく」が終わる時間)、ここから昼12時まで一人で過ごしています。
ノートにその日の予定を時間別に書いてあげています。
毎日、そのノートを見て本人なりに確認しているようです。
この後、9時50分から「よーいドン」を見ています。
番組で気になった所などはノートにメモしていますが、ほぼひらがなとカタカナで書いています。後からメモの事を聞いてもあまり覚えていません。
時間の感覚が持てなくなってきていますのでテレビ番組の時間で自覚させるようにしています。(私が出勤するのは「まんぷく」が終わってからなど)
12時に私が帰宅し、昼食を取ります。
食事の後片付けをします。
元々几帳面な性格なので、きちんときれいに食器を洗ってくれます。
私の昼休みが終わりその後は、13時から16時くらいまでは、夫が好きそうなテレビ番組を録画し、デッキの操作が出来ない夫の為に3時間くらいに編集したものを見ています。
それを見終わった16時くらいに洗濯物を干しているので、家に取り込んでくれます。
これも、きちんとしわにならないようにカゴに入れてあります。
17時過ぎに私が帰宅し、18時くらいに入浴後、19時過ぎに食事を取ります。
20時過ぎに次女が帰宅するので、話をしたりテレビを見たりして楽しんでいます。
その後、夕食後の食器洗いをします。
22時に寝室へ行き、テレビを見ていますが、10分後くらいには寝ています。
主老施設に行くようになり、夫なりに頑張っているので帰宅後は疲れているようです。
その為、今まで続けていた母とのウォーキング(週に2回)はお休みしています。(少しウォーキングにあきてきたせいもあります。)
でも、ほどよい疲れが本人にとって良い状態で生活できているとも感じています。
進行性のある病気ですので、就労を続けるのも限界があります。
今の状態を大切にし、出来るだけ長く続けられることを望みます。
施設側のご都合、制度などあるかと思いますが、1日増やすか毎日行くかの選択も考えたいと思っています。
その後、限界が見えてきてからデイサービス等介護保険を利用したい考えです。
ここからは、通院時、主治医に出した文書です。
平成31年4月からの行動
*4月、免許証を取りに教習所へ行きたいと言いだす。
去年5月には免許を持っていたが運転をさせてもらえないために不穏になった。
今回は、「以前は免許を持っていたが今はもっていない」と妻に説明する。
病気があるので無理だと言うと、あっさりと「しょーもないなー」と言い諦めた。
その後、5月に再度教習所に行くのでお金を貸して欲しいと言い出す。
前回と同様に病気で無理だと言うが、理解できなくなかなか諦めなかったが、何度も言い続けたので根負けしたのか諦めた。
車の運転をすることに執着しているので、新車を購入するにあたり、次女が買うと説明したが、「オレには関係ないよな」と何度も言い不穏になる。
*毎年、3~5月は精神的に不安定で、機嫌がいいと思うと、1時間後には悪くなり、気分が時間単位で変わる。毎日、顔色を見ての生活が続いていた。
*入浴するが、きちんと体を洗うことが難しくなってきた。
週に1回、機嫌を損ねない程度に妻が背中と髪の毛を洗うようにする。
*手巻き寿司を順序良く巻き、食べる事が出来なくなった。
*テレビの内容はお笑いなど単純な番組は理解しているが、ドラマなどはほとんど理解していないので、家にいる時は定位置に座りぼーっとしていることが多い。
*スマートフォンを新しい機種に変えて欲しいと言ったので、変えたが、その後使いこなすことは出来ていない。
*買い物は、小銭を全く使えなく、人との会話もうまく出来ないので一人では行かなくなった。
*B型就労支援センターに行き出して半年が経ち、仕事に慣れてきたのか、飽きているような感じが見うけられるようになったが、何とか続けられるようにしていきたい。
体を動かす仕事をさせたいが、マッチするものがあるのか?
B型就労支援センターや地域包括センターなどに相談出来ることは積極的にしたいと思う。
このころは、B型就労に行きはじめ、だんな様は仕事に行っていると認識してました。
頑張れば、お給料も増えると考え、内職程度の仕事でしたが、帰る間際まで頑張っていたと施設長さんから聞きました。
何度も「やればやるほど、お金になるんですよね?」と聞いたそうです。
ずっと家族の為にと思っていたんでしょうね。
⑤へ続きます。
これは、だんな様が毎日写仏をしていたころ、上の青塗りつぶしの所に次女ちゃんの名前がカタカナで書いてありました。
確かに、次女ちゃんに似ています(笑)
私と次女ちゃん、だんな様と三人で大笑いしました。
お茶目なところがあり、憎めない人でした。