だんな様の状態を病院や就労施設に伝えていた内容を振り返って読んでみました。
辛かったこと、楽しかったこと、思い出しました。
主治医への報告
平成30年1月からの行動
1月
順調に仕事にも行く。
生活面→何をするのも一旦行動が止まり考えるようになる。
具体例として、風呂に入るとき、下着、パジャマをタンスから出すのにとまどうようになってきた。
2月
2月20日 出勤時間を調整して行く(8時出勤→9時30分出勤)
2月21日 上に同様(8時出勤→8時30分出勤)
なぜ遅刻していくのか尋ねる→8時出勤では仕事が無いため
その後、遅刻せずに出勤する。
アルツハイマー病と診断されてから(平成27年8月より)単純な計算問題を毎朝していたが、二桁の計算が出来なくなる。
割り算は全くできなくなった。
その後、一桁の計算を継続している。
3月
週に2回ペースで道に迷う。
帰宅時、途中下車するとその後どの電車に乗っていいのか解らず、こちらが電話で誘導するか、その場所へ迎えに行く。
途中下車の理由はおそらくトイレに行くためと思われる。
(トイレに向かうときは、トイレを目指して行けるが、その後自分の乗る電車へ向かうことが出来ない)
一度、少しパニックになり、どうすることもできないため、電話を駅員にかわってもらい、アルツハイマー病のため誘導してほしと依頼する。
頭痛がある為、仕事を一日休む。
職場の人間関係がある人一人と悪く、仕事に行きたくないと訴える。
退職するにも手続きをふまないといけないと話をし、少しの間様子を見ると本人は納得、現在は落ちついている。
3月は気分も下降、行動も下降で調子が悪かった。
4月
3月の調子の悪さが嘘のように晴れ晴れとしていた。
仕事では、中央区と天王寺区の配達の手伝いに行くようになる。
引っ越しのアルバイト(職場で)でもらった給料で私の誕生日祝いと言い、食事をごちそうしてくれる。
5月
5月19日・20日
職場で退職に向けてのセミナーがあり、本社へ行く。
欠席も考えたが、本人が行くと言ったので出席する。
一人では電車で行くのは無理なので、私が連れていく。
○○駅前より一人で職場の迎えのマイクロバスに乗る。その日は、一日研修で、夜に懇親会があった。その後電話がある。困った様子はなかったが、何度も電話があり心細いのかと思った。
次の日、同じ駅で落ち合う。お風呂に入った様子がなく、ヒゲも剃らず、持って行った着替えも使わなかったようだ。疲労感が見えた。
5月21日
有給休暇で家に居る。私は仕事へ出る。
朝から朝丘雪路がアルツハイマー病で死去と報道がある。
昼休み私が帰宅し、この報道が一日続きそれをずっと見ているのには無理があると思い、昼から録画していた映画をみせて仕事へ出る。(デッキの操作は自分ではできない)
PM3:00くらい、車の鍵がないと電話があり、家になく私が持っていると言う。
直ぐに持って来いとすごい剣幕で言われる。
(去年11月、今年2月に2回、車の洗車中に、運転をして出ていったことがあったので、車の鍵は隠しておいた。)
それから、電話を切るとかけてくる、繰り返しでどうしようもなく、長女に電話をし、家に来てもらう。私も仕事を早退し家に帰る。
興奮して、何を言っても話にはならず、病院へ長女が電話をする。少しして今度は急に「何でやねん」と言いすすり泣きをする。(夫の涙をみたのは母が亡くなった時以来)
そして、なだめながら、病院へ連れていくも、その頃には興奮も治まっていた。
その後、自分がとった行動を覚えているのかいないのか、普段の夫に戻っていた。
6月
先月の興奮が嘘のように穏やかに過ごす。
6月14日、帰宅時に迷い、今回は自力で帰れそうだったが、○○消防署まで迎えに行く。
6月15日・6月22日も迷うが自力で帰宅できた。
寄り道したり、トイレに行ったりしたあと迷うようだ。
現在の状況
字を書く→たどたどしくなる。
字を読む→何となくできている程度。
理解力→幼児に話すようにかみ砕いて話すと理解できる程度。
記憶力→近々の会話でも何度か同じことを言う。
仕事→事務的な用事は私が直接職場へ連絡している。退職まで(平成31年5月)続けてほしいが現状では解らない。
普段はおだやかで家族との会話を楽しんでいる。
続く・・・
*今週のお花