最初から強かったわけじゃない。
だけど、私が守ると決めたその日から、
私や家族に向けて来る敵意に立ち向かっただけ。
それでも、そんな私を理解する人などいなかったけれど、
親戚からも暴言を吐かれることも多々あったし、
私のいないところで、私の悪口を言いふらす身内すらいたけれど、
神様はすべて見ていて下さる、と、私はただそれだけ、
それだけを思って、盾になると思いながら、頑張って来た。
でも、そんな私の心を家族すらも理解してくれなかった。
だから、私はいつも孤独だった。
誰にも相談することなく、一人乗り越えて来た。
結婚してからも、私は蚊帳の外。
味方は一人もいなくて、私は何の為にここにいるのだろう?と、
鬱病にもなった。
もう諦め諦め、諦めが底をついてしまった時、
何の感情もなくなった。
私が離婚してから自由でいることも、快く思わない人もいたけれど、
私の何がわかる!と、
自由でいるには自分で判断したことの責任が伴うんだってことすら
わからない者に、何かを言われたとしても、私には響かない。
やってみればいいじゃん、と
私と同じ生き方をしてみればいいじゃん、
そしたら、私を少しは理解できるわ、って思う。
暖かい毛布に包まれたような生活をしていて、何がわかる!
知らず知らずのうちに強くならざるを得なかっただけ。
信じることができたのは神様だけだっただけ。
神棚の前でいっぱい泣いた。
声を出さずに泣けるようになった。
いっぱい心の内を聞いていただいた。
私が勝手気ままに生きていると思うなら、羨ましいと思うなら、
自由に生きたいと思うのなら、自己責任でやってみればいいじゃんか。
そんな覚悟もないのに、人はいい加減なことを言う。
神様にお守りいただいていると思えるからこそ、
飛び込んでいく勇気が芽生えた。
自分の尻は自分で拭け、の如く、
それすらもできない、人任せにする人は無責任だと思う。
そんな人を誰が信じるというのだろう。
常日頃、温厚な私、優しい私故、怒ることなどないと高を括る人も
いるだろうけれど、私は理不尽な言動をする人には容赦はしない。
それが私のもう一つの顔、怖さなのだろう。