人(ヒト)は皆、しあわせになりたくて生きている

 

 

「生」の根底にある動機は、いつも「しあわせになりたい!」だ

 

 

 

 

でも、それは物質界で得られるものじゃない

 

 

物質的な次元と重なってはいるが、それよりももっと拡大したところで感じられるものである

 

 

 

そう

 

ただ、感じるものなのだ

 

 

 

 

例えば

 

草の香りを嗅ぎ、風が空っぽの(質量の持たない)自分を通り抜けたときに感じる

 

心地良さ

 

 

ああぁぁ・・・・・・

 

 

 

この一瞬の瞬間に感じる素晴らしい感覚

 

 

なんともいえない歓び

 

 

これがしあわせを形容するのに、とても近いと言えるんだと思う

 

 

 

 

 

 

そして

 

これは物質的な条件に左右されず、いつでもここにある

 

 

 

 

わたしたちは本来、人間という物質ではなく、精神が生きているのだから。。。

 

 

 

 

 

 

物質に囚われない存在

 

 

これを思い出したとき

 

認識している根底からなにかがフツフツと湧き上がり

 

その熱いビリビリしたようなエネルギーが、物質的に身体だと仮定し、認識している全身を駆け廻る

 

 

それらを大きく覆い尽くす

 

 

これがわたしたちの本来のカラダなのだ

 

 

 

 

質量をもたないエネルギー空間

 

 

ここにはすべてがある

 

 

ミクロもマクロもここにある

 

 

ここには 不足などあり得ない

 

 

 

 

 

物質界とシンクロさせて感じる一瞬のしあわせは

 

ここのすべてが生まれる「無い」空間で感じているものなのだ

 

 

 

だからわたしたちは

 

しあわせを得ることもできなければ

 

しあわせに成ることもできない

 

 

 

しあわせとは、もともと満たされていることを知っている自身にアクセスし、

 

それを瞬間、ただ体感することだからである

 

 

 

 

 

 

この物質界をやるために、常に外に放出している意識・エネルギーを自分に向け

 

このこんこんと湧き出る泉のような「わたし」を思い出してみよう

 

 

いろんなものを追い求め、探し求めて、右往左往しなくてよくなるよ(笑)

 

 

 

だって、すべては「ここ」にあるのだから。。。

 

 

 

 

 

多くの人(の脳)は、まだこれらを完全に把握できないでいる

 

この身体を自分自身だと思い込み、確固として自分が在る!と信じて疑わない

 

 

この世界で、真に証明できるものは何一つ無いから

 

だから、人は見えたものを信じるんだよ

 

 

手っ取り早くて簡単だしね

 

能動的に思考しなくて楽チンだもん(笑)

 

 

そしてなにより、脳みそが安心する

 

 

 

鏡を常に見て見えたものを認識し、

 

「これが自分!これが私」

 

と毎日毎日呪文のように自動的に擦り込んでいく行為は、

 

物質世界の脳みそは安心するけど、、、

 

本来の決まりごとの無い、空っぽの無限空間の自分を体感する機会を

失っていっているのかもしれない

 

 

 

鏡を見たら、ぜひ一度、問うてみてほしい

 

「これは本当にわたしなのか・・・?」

 

 

(疑問視することは、設定を解除し、意識を拡大していくのに、ほんとうに「使える」最高のツールだ!)

 

 

 

鏡に映った姿・・・それをあなただと証明することはできない

 

 

ただ、そうだ!と信じることしかできないはず

 

 

 

この世界はすべてそうなのだから。。。

 

 

 

 

わたしたちは、何一つ真実を見ていないし、それを絶対に知ることはできない

 

 

 

 

ただ

 

「そうだ」

 

と信じることで、この世界はまわっている

 

 

 

 

ま、本当はこれさえも幻想だけど(笑)

 

 

 

 

※注  ここで語ったことは、在るを前提とした上での内容です