昨日の記事の補足的内容で~す♪




では、イメージをどう使うのか!?

これはとても重要!




存在足らしめる義に「どう成りたいのか」と「どう在りたいのか」がある。


この二つは似て非なるものだ。

存在が求める段階(次元)が違うと言ってもいい。。。


「成る」とは、肩書きなどの目標を定めてそれに執着し、そこに突き進むことである。(Doing)

ここには、時間やそれから成る物語(ストーリー)が存在する。

よって、今まで通りの物質次元的生き方なのである。


この遊び方を満喫し、次の段階に移行すると、 何をするのか(Doing)の果てに獲得する物や事(肩書き・名声・物質的満足感)に意味を見い出さなくなる。

それは同時に、すべては(満足感さえも)幻想なのだ・・・と気づくことでもある。


そして、その段階からもっと深みに、或いは感覚的拡大の世界に踏み込んでいく。。。

それはある意味、もっと貪欲になる・・と言えるのかもしれない。

それは情感的とも言えるし、または、刹那的とも言えるだろう。。。


こうして人間の欲は、物質界から視点を逸らし、変容を遂げ、自身に注がれるようになるのだ。

この存在欲これこそが、愛の正体である。

この愛は、自身からあふれ、すべてに同時に注がれる。




時間が紡ぐ物語の何者かに「成る」という次元と違い「在る」(Being)とは、ただそういう状態だ・・・ということである。

ここには、当然のことながら時間や物語が存在しない。


ただ「愉しい」 ただ「嬉しい」 ただ「面白い」

何が?と聞かれたら、

ただ「この世界が」 ただ「在ることが」 ただ「体験することが」と答える。


特定の「~だから」という条件・状態に左右されることはない。


そして、時間に縛られているすべてを、空間で認識するようになるのである。


時間が無いのだから、継続するという執着がない。

だから、何者かに成ることにはまったく興味が湧かない。


自分のエネルギーが変われば、それまでのすべてを棄て、また新たなる創造に突き進むのみである。




元々、何者でもないじぶんは、何者にでも成れることを知っている。

だから、何者かにこだわる必要などないのだ。


有名になりたい自分

お金持ちになりたい自分

幸せになりたい自分

Doingの果てに成れると思っている自分を、どんどん棄てていく。


こうでなきゃいけない!と思い込んでいる自分をどんどん棄てて、現状~だから、こう成りたい!と願う自分もどんどん棄てていく。



そうしてどんどん棄てて棄てきったその先にあるのは、ただ「いつも歓びに満たされているじぶん」


そう「在りたい」じぶんがいるだろう。


昨日投稿した新たな世界・新しい創造空間は、これが人の存在のベースとなるのだ。


継続ではなく、常に歓びに満たされている瞬間があるだけ。


その時、その瞬間に気づける自分で在るかどうか・・・これが鍵となる。





時間の解体は、じぶんの意識が、その時間を構成している組成に入り込んでいくこと。

それが「瞬間の空間」に存在することである。


粗い時間の世界を、コンマ何秒までをもすべて切り刻んで、そこの空間(瞬間)を意識する。

そしてそれと同時に、その大きな全体の流れも観るのである。



時間という概念は、本来はもう崩壊している。

しかし、そこに囚われている人間は(もちろん自分で執着しているだけなのだが)まだまだたくさん存在してはいるが。。。


だからイメージするのは、これ!

「じぶんがどう在りたいか」。。。



そうではなく、目標を定めた「成りたい」を設定し続けているのであれば、あなたはすでに崩壊している時間と共に、これから破綻と衰退の一途をたどるだろう。。。


それが、物質次元であり、、、

始まりと終わりのある物語(ドラマ)の世界の法則なのである。




これからの新世界は、常にただ「在る」という始まりと終わりのない過程の世界・・・

決まったストーリーのない世界なのである。



その終わることのない永遠の世界の扉が、今まさにゲートオープンとなって、最高にパワフルにわたしたちを誘っている。。。