岡本太郎さんの或る言葉を見て、聞いて、考えてみた。

 

 彼の言う事柄には一種の人生観が、その字面からも、僕は感じることができた。

 僕がふと彼を、今の依り処にしようと考えたのは、詳しくは知らなくとも彼の生き様を参考にという浅薄そのものだ。

 だが、実際、彼の言葉には何か透明な己の感情にグッとくるものがあって、おかげで今のように字が書けるくらいにまでは取り戻せた、本当に助かった。

 

 ぬるま湯だと自覚しつつも何とか脱却するべく励んでみる。その中途に当たるのが今だが、やはり、親は優しい。優しいから依然頑張ろうとも思えてくる。だけど彼らは悪魔でもなければ天使でもなく、一個体の、どこにでも点在していてどこにもないものを持つ唯の人間さ。鬼になるし、はたまた神のようにどこか達観した様子で無慈悲なことを、機械的に並べてくれる。そのたび、あぁ自分は彼らとは違うんだなと、普通になれないと悲観的な諦めに着いてしまう。自分なりのがんばっているが、お前は本当に頑張っているのかとふと疑問に思ったら最後、自分のペースで歩けなくなる。稼ぎをしたことがないのは神経が人より弱いことを知っているから、代わりに部屋にこもって試験やらの勉強をしてみる、どちらかといえば楽しいし地道ゆえによいのだが、人生経験を積めと最近ご指摘をいただく。自分に足りないものだと理解しながら社会に一歩ずつ歩み関わろうとやってみるのだが、なぜか足りないものだけを挙げダメ出しをしてくる。今日までやるせない心持ちだ。

 

 やはり距離感が大事なんだ、と常々思うしそれが親でも身内でも一番仲の良い友人でも当てはまることなのだ。

 わかってるはずなんだけどなぁ、、、一度エクスタシーに触れてしまうと、もう忘れてしまう、ダメなのである人として。

 これを今現在まで、漸く酒が飲めるようになる年齢に達しても猶続けている。

 大変ですね、多分皆さんもそうでしょう。こんなつまらないことを書く僕自身もはや八方ふさがりの気持ちです。皆の言う前の進み方がどうしても分からない、けど、なんとかやってみます......