みっちーは小説でもなんでもハマるとそればっかりになるんですが
それでも普遍的な、いわゆる「スタンダード」はありまして。
中学の時初めて横溝正史を知った時は衝撃的でした。
大方の人がそうであるようにきっかけは映画
「犬神家の一族」
あの湖に逆さに突き刺さってた足と
佐清マスク・・・
映画もさることながらその小説の独特なスタイルに
今まで読んできたミステリーの概念が覆りました。
とにかく設定がおどろおどろしい。
同じ日本にこんな閉鎖的で怨念じみた世界があるのかと
現実と虚構がごっちゃになって
ぐいぐい引きこまれたもんです。
松本清張はもうちょっと後。
なんとなく家の本棚にいつもあって気にはなってたけど
横溝は子供心にも怪奇じみた設定がキャッチーだったのに対し
清張作品はどーも大人の香り。
設定も不倫とか男女の情念とか。
それでも清張作品はよく映像化されており
わりと身近に接することができていた。
ただその深さを実感するのは
大人の機微がわかるようになってから。
ミステリー作家って普段の生活の中で「おや?」っと思った事とか
余す事無く作品に昇華していくんでしょうね。
「点と線」なんかは鉄道ファンにはこたえられない場面が多数。
有名な「東京駅、空白の4分間」なんて漫然と生きてたら誰も気づかないでしょう。
まあ、オタクの中では当然なんだろうけど。
「ゼロの焦点」では北陸という土地のなんともいえない陰鬱な冬の雰囲気と
登場人物たちのそれぞれの立場がリンクしている。
映画も秀逸だった「砂の器」の悲しさや
「鬼畜」での人間の薄ら寒い心理
地味ですが「一年半待て」や「顔」といった短編もすばらしい。
トリックそのものより人間心理を深くつく手法に驚かされたものです。
みっちーも中学時代、彼らのまねっこ小説みたいなのを書いてた時期がありました。
当然「パクリ」に近いので作家になろう!とかいう大それた野望はなかったのですが
その執筆活動はわれながらなかなかのもんで
頭の中で考えたプロットを学校で授業中にレポート用紙に一気に書き連ね
休み時間にクラスメートが回し読み。
休み時間に読めなかった子は授業中に読み私は続きを書く。
ノートに書かなかったのは切り離さなきゃなんないから。
家に帰ってからは書かずにひたすらプロットを考える・・・みたいな毎日でしたよ。
今でも覚えてるのは、とある街で突然起こる連続殺人事件。
目撃者は一様に犯人の特徴として
「頬に大きな傷があり、右足を引きずってた男」と証言するが
その手掛かりだけで犯人探しは難航し・・・というもの。
結論は実は犯人は男装していた女で
頬の傷も描いていたもの、足も悪くない。
目撃者は最初に目に入る大きな特徴に意識を奪われ
細かい部分は見えてなかった・・・というお話。
今思えば陳腐な設定ですが、人間の心理に光をあてたという基本は
この二人の作家の影響受けまくりです。
そしてこんな小説もどきを書いていた時の筆記具なんですが
勝手な思い込みと独断で「万年筆」でした!!(*^.^*)
ま、なんでも形から入るって大事ですよね・・・