おばあちゃん家から帰ってきてすぐに、僕はお父さんの病院に向かった。忙しいお父さんを捕まえるのはなかなか大変だから、ねえやに連れていってもらったんだ。

「お父さん、僕、空手を習いたい」

院長室にやっと戻ってきたお父さんは、いきなりそう言われてびっくりしてる。

「お母さんは知っているのか?」

もちろん言ったさ。
そしたらお母さんは、

「なぜ空手なの?この夏休み、バイオリン教室の見学を予約してるのよ」

なんて、オソロシイことを言い出した。
なんでだ。バイオリンなんて興味ない。
なぜいつも勝手に決めてくるんだろう。
危なかった。もう少しで連れていかれるところだった。それでお父さんにお願いに来たんだ。

「身体を動かすのなら、水泳と体操クラブに行っているだろう。充分じゃないか」
「体操クラブより空手をやりたい。柔道でもいいし、剣道でもいい」

お父さんは、「急にどうした?」と少し笑った。

僕は強くなりたい。
でもただ強いだけじゃダメなんだ。あんな大ケガさせないように、キチンと強くならないと。

そしていつか、また黒目があの子に悪さするようなら、正しくぶっ飛ばす!

そんな場面に出くわすかはわからない。
あの子が黒目の気持ち悪い心根に気がついてくれたらいいんだが。あんな目に合わないのが一番いいに決まってる。
けどなぁ。かずくんって、なんかボーっとしてんだよな。黒目に完全に寄りかかって生きてるって感じだし。黒目の言いなりだからな。

だから準備しておくんだ。
いつでもぶっ飛ばせるように!

僕はお父さんに「正しく強くなりたい」ことを、懸命に説明した。かずくんと黒目のことは話さなかったけど、「大ケガさせないため」ということは伝わったみたいだ。
お父さんにOKをもらって、僕は晴れて空手を習うことができた。



しかし、その効果を発揮したのはもうずいぶんあとの事だった。
母の希望通り私立の小学校に合格した僕は、もうかずくん達と会うことはなかった。
そのままエスカレーター式に中学まで進んだが、両親が離婚するにあたって、僕は公立高校を受験する事を選んだ。なんとなく、母の敷いたレールの上から逃れたかったんだと思う。

そしてその高校でかずくんを発見する。
何年ぶりだろう。
なのに一目でわかった。
少し大人びた表情になっていたけれど、変わらないキレイなコハク色の瞳をして、そこにいた。

僕は息を止めてその姿を見つめる。

運命だ。

そう思った。
でも声はかけられなかった。
なぜなら、やっぱりあの子の隣にあいつが居たからだ。相変わらず黒目しかないあいつ。
結局、僕の空手の腕前は黒目に発揮されたわけではなかったが役には立った。それはまた別の話だが。
並んで歩く二人の背中に幼稚園の頃の姿がダブる。あれからどうなったんだろう。
やっぱり言いなりになってるのだろうか。
気をつけて見守らねばとあらためて心に誓う。


もう僕たちはひよこではない。
なにも知らなくていい、無垢な時代は終わったのだ。

そう思うと、少しだけあの騒がしい小鳥たちの集まりが懐かしく感じられた。











おしまい♡