僕は新しいクレヨンを買った。
けれど、そのクレヨンをかずくんに渡すことはできなかった。
なぜなら僕は、年少の頃まで通っていた前の幼稚園にまた戻されたからだ。同じ敷地内にある幼稚園だが、僕はもうさくら組ではない。そしてふたつの幼稚園の間は、子供たちが勝手に行き来できないようになっていた。
僕がクレヨンを買ってあの子に渡したいと言った時、お母さんは「それはいい考えね!」と言ったのに。幼稚園を移った途端、すっかり忘れてしまったみたいで、今日もご機嫌で僕を車で幼稚園まで送っている。
「やっぱり、かなたには合わなかったのよ。レベルが違いすぎるんだもの」
お母さんはどこか嬉しそうだ。
僕を小学校ジュケンのためのクラスに戻すことで、お父さんとまたゴタゴタしていたから、自分の思うとおりになって満足なんだろう。
まぁ、僕があのままさくら組に通ったらイジメられかねないというのがお母さんの言い分らしい。それはそうだろうなと思うよ。
「戻れてよかったわね」
「…別に、どっちでもいいよ、僕は」
ほんとにどっちでもよかった。
だから正直に答えたんだが、お母さんは「そうなの?退屈そうにしていたじゃない」と少し不満そうだ。最初は確かにそうだったと思う。
でもなんでだろう。
あの子に会って、毎日幼稚園に行きたいと思えたんだ。
そして今も幼稚園カバンには買ったクレヨンが入っている。入れっぱなしで、ちょっと角が擦れてしまったけど。
時々、教室を抜け出して園庭の境目に行ってみる。
鍵のかかった扉のすき間から、向こうの幼稚園を眺めてみたが、園庭で元気に遊ぶ子供たちの中に、かずくんも黒目も見あたらなかった。
耳を澄ましてみても、あの細い泣き声は聞こえない。まだ休んでいるんだろうか。
手に持ったクレヨンを見つめる。
ほんとは。
ほんとはかずくんに会うのが怖い。
わざわざ嫌われたことを確認する必要があるのかって思う。バカだろ、そんなことするの。
でも、会ってごめんねって言いたいのもほんと。
そして、黒目に気をつけろって伝えるんだ。
そのためにクレヨンを買ったんだけどな。
なかなかうまくいかない。
僕になにができるんだろうか。