今朝は小雨が降っている。
「行ってらっしゃいませ」
僕を車で送ってきた「ねえや」が傘を畳んで、お弁当袋を渡してくれた。「ねえや」はもちろん名前じゃない。僕の身の回りの面倒を見てくれる人で、本当はお手伝いさんとか言うらしい。
古臭い呼び方をお母さんは嫌うんだけど、お祖母ちゃんがそう呼ぶと決めているからしかたない。
こっちの幼稚園に通うようになって数日。
お向かいの幼稚園の時には当たり前だったお母さんの送り迎えが、このねえやになった。
理由はわからない。
どうせまた、お父さんとなんか揉めてるんだろう。べつにどうでもいいけど。
門から出ていくねえやの後ろ姿をぼんやり見送っていたら、ちょうど入れ替わるようにかずくんがやって来た。もちろん黒目も一緒だ。
黄色のレインコートに黄色の傘。足元だけなぜか赤い長靴で、水溜まりを踏みふみ歩いてくる。
なかよく手を繋いで、なにを話しているのか、かずくんが楽しそうに笑った。
僕は後ろをむいていそいで教室に入った。
朝の準備をしながら、チラチラ靴箱辺りの二人の様子をうかがう。
黄色の傘も黒目が畳んであげて、レインコートも脱がせてあげている。つきっきりで世話なんかして、あの子は赤ん坊かよ。
当のかずくんは、靴下が濡れてしまってしょんぼりしてる。水溜まりに入るからだろ、バカだな。
僕がスモックに着替え終わった頃、「おはよ」とほわほわ挨拶をしながらかずくんが教室に入ってきた。黒目は二階の年長組に上がって行った模様。
「あの人、かなたくんのお母さん?」
珍しくかずくんから話しかけられて僕は動揺してしまう。ぼーっとしてるようでも、ねえやの事見ていたのか。
「ちがう。あれはねえやだ」
「お姉ちゃん?」
「…………ちがう」
説明するのがめんどくさい。
お手伝いさんと言っとけばよかった。
「そういうおまえだって、あいつはおまえのお兄ちゃんなのかよ」
「え?まーくんのこと?ちがうよ」
かずくんはきょとんと僕を見る。
そんなことわかってんだよ。苗字が違うんだから。兄弟でもないのに世話焼き過ぎだと言ってんだよ。
あいつはなんなんだとツッコんだら、
「まーくんだもん…!」
と、うるうるの瞳で答えられた。
話が通じない。やっぱりバカなのかもしれない。
イライラした僕は、すれ違う時ワザと肩をぶつけて、尻もちをついたかずくんを振り返らずに教室を出た。
細い泣き声が追いかけてくる。
さすがにやりすぎたかと立ち止まりかけたけど、そんな必要はなかった。
疾風のように階段を駆け下りてきた黒目が、速攻教室に入っていったからだ。
あいつの耳は地獄耳に違いない。