「汚いな!」

本郷の眉間に深いシワが刻まれた。
しかし横山はそれを無視して叫んだ。

「ママて、ママておっさんやないか!冗談が過ぎるで、ホンマに!!」

せっかく教えてあげたのに、怒った顔の横山が突っかかってくる。その横山の肩を本郷がドンと強く押し返してくれた。
「冗談かどうか本人に聞いてみろ」
いや、本郷くん、怖いよこわいから。
睨み合う二人に、せいさんが苦笑いで言った。

「まぁまぁケンカしないで。ワタシがえりかのママの聖陽です。よろしくね」
「……は…」

ポカンとした横山の顔がみるみる紅潮する。
口をパクパクさせて何か言おうとしたようだったけど、結局黙ったまま椅子にへたりこんだ。
マスターが困ってせいさんの腕を小さく小突いた。でもせいさんは「だって本当のことだし」と冷静だ。二人の視線がようやく合って、俺はちょっとだけ安心してしまった。

「…教授は知ってはるんですか」

地の底から届くような低い声で横山が聞いた。
その声は、ちょうどお客さんの途切れていた店内にポツンと取り残されたみたいに響いた。

「知ってるよ。別に隠してないからね」

マスターが静かに答えた。
せいさんも頷き、コーヒーで汚れたカウンターを丁寧に拭き始めた。

「そんな、そんな、あんまりやないですか」

座ったまま握った拳を震わせる横山はうつむいて声を絞り出した。泣いているみたいだった。

「教授があないに大切にしてる娘さんやのに、僕はお会いしたことないですけど、写真で見せてもろてもとても綺麗な人やのに。そんな、亡くなったからって、男とって、娘さんは男に負けたいうことですか!?」

そう真っ赤な顔でまくしたていた横山が、急に息をのんでマスター達をじっと見つめた。

「まさか、まさか結婚する前から…?」

椅子をガタつかせて立ち上がり声を震わせる。

「娘さんのこと騙してたんじゃ…」

あっと思った瞬間、せいさんとマスターが同時に叫んだ。

「こいつ、ぶん殴っていい!?」
「やめろ、やめろって」

見れば、せいさんがカウンターを乗り越えそうな勢いで拳を握り、それをマスターが必死に抑えているところだった。
驚いた横山が尻もちをつき椅子が大きな音をたてて倒れた。びっくりして固まった俺の目の前には、いつの間にか本郷の背中があり、壁側に避難させてもらったらしい。

「おまえみたいな若造に、三十年以上もフラれ続けた俺の気持ちがわかるかぁ!」

穏やかなせいさんの激変ぶりに俺は心底ビビった。