せいさんは俺をじっと見て、それから俺の膝に顔を伏せてるえりかちゃんに視線を移した。
えりかちゃんの背中が緊張で硬くなる。
「パパとえりかがいるこの家が俺の家だよ。帰るところはここだけ」
そろりと頭をあげて、えりかちゃんはせいさんを見上げた。
「……ほんと?もう家出しない?」
「うーん家出っていうか、実家にいたんだけどな」
うわ、よくドラマで見る「実家に帰らせていただきます!」そのままじゃん。
マスターは何やらかしたんだ?
ようやくえりかちゃんがせいさんの膝に収まったところで、まーくんが階段をあがってきた。
手にはコーヒーと麦茶を載せたお盆。その後ろにおやつのクッキーを持った本郷を従えていた。
まーくんは、えりかちゃんが泣き止んでいるのを見てにっこり笑った。
「はいはいはい!マスターにおやつを持ってけってと言われたんで。どーぞぉ!」
と、ローテーブルに手際よく並べる横から、本郷が俺の腕を掴んだ。
「おい。数学どうすんだよ」
「えぇ?ここは一緒におやつ食べよっ、ね?」
そう言って小首をかしげたら、本郷は実に嫌そうな顔をした。でも黙ってコーヒーに手を伸ばす。
「どーして『ママ』なんですかぁ?」
自己紹介が終わったとたん、まーくんの脳天気な質問が炸裂した。「ちょっ、何イキナリ聞いてんだよ!」と頭をひと叩きするも、せいさんは声を立てて笑った。
「女性だと思ってた?って、そりゃそうだ、そう思うよねぇ」
せいさんはえりかちゃんの頭を撫でながら、昔の話をしてくれた。
「こう見えて、えりかは言葉が遅くてね。保育園で『ママ』って言葉を覚えてきたんだけど、その頃にはもう本当のママは亡くなっていて。『ママ』と呼んでみたかったんだろうね」
俺のことをママと呼んだんだよ。
うれしかった。
違うって言えなかった。
せいさんはとてもとても優しい顔で言った。
俺には、まだ小さいえりかちゃんが、せいさんの服を握って『ママ』と呼んでいる姿が見えるような気がした。
「実際のとこ、パパでもママでもないんだけどね。でもまぁ、ママみたいな立ち位置ではあるかな」
「ママはママだよ!」
「そうだね。そうなんだけど、この前小学校の入学式に行った時ね…少し考えたんだよね」
「入学式?なにを?」
えりかちゃんが不思議そうにせいさんを見る。
せいさんは笑っただけで、答えなかった。