能『藤戸』は、昨年暮れに訪れた藤戸(岡山県倉敷市藤戸町藤戸)に残る史話に基づくものです。この3月に、京都御苑前の「金剛能楽堂」で演じられるのを知り、是非観覧しようと思います。同時に、能「熊野」、狂言「萩大名」も上演されます。
金剛能楽堂
ここは、毎年京大の学生さんがサークル活動の発表として上演し、無料で招待してもらえるのでよく訪れます。さすが京大生、公演の内容もなかなかのものです。
能『藤戸』金剛流
前シテ漁師の母、後シテ漁師の亡霊
ワキ佐々木盛綱
ワキツレ佐々木盛綱の従者【2‐3人】、アイ佐々木盛綱の下人
源平合戦に勝利した源氏方の武将、佐々木盛綱は、備前国児島にある藤戸の戦い(寿永3年/1184)で、馬で海を渡る快挙により先陣の功を挙げ、その功により児島の領地を賜り初めて領地入りした。すると一人の老婆(前シテ)が現れ、我が子を殺したと盛綱を咎(とが)めた。初めは、知らぬ存ぜぬの盛綱も、再三の老婆の追及とその哀れな様子に心を動かされ、とうとう告白してしまった。源氏が戦陣を構えた藤戸は、平家の陣地と海で隔てられ、戦況は膠着状態。盛綱は地元に住む若い漁師(老婆の息子)から、馬で渡れる浅瀬ができる場所と日時を聞き出した。このことを、平家方はもちろん、味方にも知られたくなかった盛綱は、他言を恐れて漁師を殺し、海に沈めてしまった。この話を聞いた老婆は、半狂乱となり自分も殺せ、我が子を返せと盛綱に迫った。盛綱は老婆をなだめ、漁師を回向(えこう)することを約束し、家に帰らせた。盛綱が、藤戸の海辺で管弦講(かんげんこう)を催し、般若経を読誦して漁師を弔っていると、漁師の亡霊(後シテ)が海上に姿を現し、無惨にも殺された恨みを語り伝えに来たと言い、刺し殺されて海に沈められた惨劇を見せた。亡霊は、悪龍の水神と化し恨みを晴らそうしていたが、回向を賜ったことに感謝し彼岸に至り成仏の身となった。
藤戸の戦い
佐々木盛綱(盛綱橋)
盛綱が藤戸寺で大法要を営んだ際、書写した経文(きょうもん)を埋めた小島(経ヶ島)







