ミクロの世界の姫と戦士の物語

ミクロの世界の姫と戦士の物語

月に1度、自由への扉が開き、険しい道を駆け抜ける姫。そして、命を懸けて姫に駆け寄る無数の戦士達。無事に姫と出逢えた戦士は、姫と手を取り合い安息の地へ。安息の地でふたりの想いが重なったら、そこで優しさと愛情に包まれた日々を過ごすのです・・・。


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9月18日に融解胚移植を行いました。


その日を0日とカウントすると、8日目に茶オリ。


そして9日目にの朝には体温が下がりました。




この夏は暑かったためか、普段より高めの高温期。


36.8℃前後をウロウロしていました。


そして9日目には36.4℃まで急降下。




以前ネットで調べた記事の中で


移植後7日後には妊娠していれば自力でhCGが出ると。


しかし注射を打っているために、検査薬の反応が出ても


どちらの反応かはわからない、だが、反応がなければ


妊娠はしていない、といった記事に記憶がありまして


とりあえず、検査をしてみました。




以前のブログに書いたとおり、検査薬は真っ白でした。


夫婦喧嘩も手伝って、自棄酒をしました。




そして10日目の朝も体温は同じく下がったままです。


母の迷い言に心揺らされ、検査薬を再利用。


以前のブログのとおりです。




ブログには書きませんでしたが、その日の夕方


妊娠検査薬を買いに走り、試すもまた撃沈。


その翌日も体温は36.4度。完全にあきらめました。




そしてその2日後、10月1日。移植から13日目。


体温が突然36.7℃まで回復しました。




その日から突然息子が、私のお腹を指差して


「チャーチャン、チャーチャン」と連呼。


チャーチャンが何かわからずにいると、CMの赤ちゃん見て


「チャーチャン、チャーチャン」と言います。


そして、一度も遊んだことがないぬいぐるみを抱いて


私の胸に押し付けて「おっぱい、おっぱい」と言う。




結局体温は下がったものの、生理は来ない。


息子は言葉がのんびりで、まだ言葉も少ない中


今までにないほど必死で話しかけてくる。




まさかなぁとは思いつつ


数日前に買った検査薬の残りを試してみたら


くっきり陽性反応。なんだか拍子抜け。




息子はドヤ顔


誕生日を二日後

年末年始は実家でのんびりと過ごせました。

息子もジジババ、私の友人一家や親戚の人など

遊び相手には事欠かず、とても楽しそうでした。


雪も降り、雪遊びをしたり。そして何より

私たち夫婦そろって子供と遊ぶことができました。


腰痛も少しマシになり、胎動もわかるようになり

やっとお腹の子の事を感じることができるようになりましたが
やはり不安は取り除けるわけではなく。


結局年が明けてからもしばらく休ませてもらい

以前の検診から4週間が経ちました。


久しぶりに自宅に戻り、検診に行きました。

今回はミフィオさんも同伴です。


赤ちゃんは一応成長が追いついていました。

目鼻口などの位置や、体の各部位の長さのバランス等

特に問題はなく、順調でしょうと言ってもらえました。


ほっとして、ちょっと泣きそうになりました。
性別も、勝手に女の子だと思っていましたが
もうこの期に及んでは元気ならなんでもよくなっていて
無事が確認できて、ただただほっとしていました。


エコーで我が子を眺めている時、オマタが画面に映りました。
二本の線がはっきり見えました。


予感は的中し、希望通り女の子でした。

嬉しいはずですが、特に喜びもわいてこず。

ただただ、この4週間の不安が解けた安堵から

どっと疲れが出てきました。

結局夜になってやっと、女の子なんだなぁと

しみじみうれしく感じられるようになりました。


そんなこんなで、6月に女の子を出産予定となりました。

まだまだミフィオさんと完全に仲直りした訳ではないけど

名付けや出産準備を通して、きちんと話し合って

これから6月まで、たくさんたくさんお腹の子を愛して

無事に出産できるよう、親としてしっかりしなければなりません。


せっかく尊い命が宿ってくれたのですから。


長々とお付き合いありがとうございました。

妊娠の経緯はまた改めて記事にしますね。

結局、心身ともに不安定な我が家でお互い過ごすより

一度冷却期間をおくほうがいいということになり

検診の後、実家で休養することとなりました。

しかしながら、その検診で

お腹の子供が1週間ほど小さいことが判明。

治療で授かったので、日数的な誤差はなく

何度も測定した上での診断。

顔のパーツの位置や、体のバランスは問題ないので

とりあえず4週間後の成長を見ましょうと。

自分がイライラしっぱなしで、お腹の子は

のびのびと成長できなかったんだと後悔するばかり。

正直なところ、夫婦仲もよくなかったこともあり

上の子の時ほど、お腹の子を大事にしていない自分に気づき

自分で自分がぞっとしました。

この瞬間に、やっと母である自覚が芽生えました。

情けない話です。

誰に話しても、ただの誤差、大丈夫と軽く言われましたが

うしろめたさからか、本当に不安でたまりませんでした。

検診後から実家に帰りましたが

本当に帰ってよかったと思います。

周りに人がいるのは幸せな事だと実感しました。

つづく

前の記事で、夫婦喧嘩と書きましたが。


ミフィオさんは7月から超激務。
朝は6時半に出て帰りは23時過ぎ。
月曜から金曜まで仕事をして、土曜移動で東北へ出張。
日曜仕事して、また月曜か火曜に戻り出勤。

そんな事もさほど珍しくなく。

体力的にも精神的にも辛かったでしょう。


そんな中、夫婦の会話も次第に減り

ささいな言葉の行き違いから、深刻な夫婦喧嘩。


妊娠にいたる経過はまた後日書きますが

以前のブログにも書いたとおり、検査薬は白かった。

そんな中、ブログには書きませんでしたが

落ち込みイラついたその時にミフィオが言った一言。


「もうこんなんなら治療なんかしなければよかった」


絶対に思ってはいけないことですが

誰のせいでこんなに辛い思いをしなきゃなんないのさ!

ともう心底腹が立って腹が立って。


そして、前の治療のときも辛そうでイラつく私を見ていたら

治療なんかもうしなきゃいいのにと思ってた。

夫婦二人だけのときのほうが楽しかったとダメ押し。


私は夫婦で治療をがんばって乗り越えてきたと思ってた。

なのに、あなたはそんなことを思っていたのかと

心から悲しく、そして怒りがこみ上げてきました。


イライラしていた私は、その発言に息子の誕生を拒否された

そう感じてしまい、夫への不信がぬぐえなくなりました。


今から思えば、妊娠初期のホルモンバランスから

ひどく私がナーバスになっていたんだと思います。


結局、その後妊娠がわかりましたが

私はずっとミフィオに伝えることができず。


悪阻が始まり、朝晩吐くようになり、本人が気づくまで

私はずっと伝えませんでした。


そのうちミフィオは妊娠に気づき、とても喜んでくれましたが

それでも私の心は晴れませんでした。

そんな中で腰痛が発生しました。

続く

長らくご無沙汰していました。




何から話せばいいのやら…。




11月半ばから腰痛がひどくなり動けない日が続き。

一歩が1cm。トイレも苦痛でオムツを真剣に考えた頃

膀胱炎で高熱を出す始末。




実は現在妊娠19週目です。




その頃は安定期前で、薬が飲めず、水飲んで出すの治療。

一週間ほどでなんとか回復しましたが

腰痛との兼ね合いでまたすぐにでも再発しそうな感じ。




そんなこんなで…。




妊娠して嬉しいはずが、夫婦喧嘩に始まり、悪阻、腰痛。

正直、精神的に参ってしまっていました。




そんなある日。




動けない私にプラレールの電池を要求する息子。

1cmしか一歩が出ない私は息子に引っ張られ揺すられた。

激痛から倒れる際、お腹をかばった為、頭から床にダイブ。

初めて感情に任せて息子を怒鳴り付けた。




強い痛みに加え、息子の怯えた顔を見たショックで

私は育児をして始めて泣きじゃくりました。

せっかく上の子ができ下の子までできたのに

感謝するどころか、あまりの辛さに泣き出し

そんな私を静かに泣きながら見つめる息子。

そんな息子にゴメンとも言えない自分が情けなくて。




もう限界だと腹をくくり母に助けを求めました。




続く