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Me voici.

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久しぶりなのに、もやもやした、小言。
ちょう、ひとりごと。なので、不快、かも。







他人言う「普通にできること」がぼくにはできない。
そもそも普通にできることって何だろうって考えちゃう。


自身の「普通にできること」が誰しも当たり前にできると思っている人がいる。
「こんな私でも出来るんだから、あなたも出来るよ、できるでしょ?」って、
そういうニュアンスの言葉を何回か言われるのだけれど、
できないことが異常であるようなその言葉は、できないことに負い目を感じてるひとをさらに苦しめる言動だなと、
不愉快そうに笑う相手に、なにも気づかないふりをして愛想笑いをした。

ぼくは、じぶんに出来ないことを悠々と熟すひとをたくさんみたけれど、
それと同じように、じぶんに出来ることが出来ないひとだってたくさん見てきた。
でも、それが悪いことだとも、なんでできないの?とも、況してやあなたにもできるでしょ?と強制させるつもりもなかったし、いまでもそのつもりは毛頭ない。
もちろん冗談で言うこともあるのだけれど。それは相互が信頼している関係であって、また別の話。

じぶんの常識を相手に強制させる姿ってやっぱりいやだな。
「ぼくはあなたではないから、あなたと同じことはできません。」って言えたらとってもラクなんだろう。
ぼくも中々の小心者だ。

もちろんそういったひとのほうが好きでラクなひともいるのだろうけれど、
一個人の感情として、そういう人は好きじゃないし、なりたくないって思った。


ぼくの大切にしている考えを「そんなのどうでもよくない?」って言われた時、
あぁ、この人とはほんとうに合わないなと思ったのだけれど、
関わざるを得ない環境で、どんどんイヤになってゆく。



そんなことをここ数日考えてた。


痛みを理解してあげたいと思う優しいひとがいてくれるからこそ、
今まで生きていてよかった、そう感じる。

「大丈夫だ」と言ってくれる、話をずっと聞いていてくれるひとがいて、
わからない感情を理解しようとしてくれるひとがいて、
私を忘れないで私に居場所をくれるひとがいて、
甘えのような気がして人前では泣かないようにしてたのに
それが心にジンときて急に涙が止まらなくなった。

本当にこの人たちの優しさはズルい。
こんな優しいひとたちが都合よくしあわせになれる世界であればいいのに。

私も誰かの居場所を作ってあげられるような、あったかいおふとんみたいな人になりたい。
今日改めて思いました。



おやすみなさい。




一番見えなきゃいけないビジョンが見えていないのって自分だけなんだなー。
と、

相談した目の前の悩みしか考えられない。
そうやって自分のことばかりで「だめだめだなー」と、
自分の実力のなさにどうしても悲しくなってしまう。

これまでの経験の差ですね。。
考えることってやめちゃいけないなぁ。