明日死んでも「いい人生だった」と思える生き方をしていますか? | 年齢や体型のコンプレックスが魅力に変わる『きもので自分史上最高の私になる方法』

年齢や体型のコンプレックスが魅力に変わる『きもので自分史上最高の私になる方法』

着物をとおして女性を輝かせる きものLifeプロデューサー 星 君枝のブログ
年齢を重ねても、体型のコンプレックスがあっても、自分に自信がなくても、きものを着るだけで自分史上最高の私になれる方法を配信しています。

憧れだったきものをまとうだけで

年齢や体型の思い込みがスルスルっと外れ

洋服のように気軽にきものを取り入れながら 

自分史上最高の私になる

 

きものLifeプロデューサー

星 君枝です。

 

 

この記事を書く前に

別の記事を書いていた途中でした。

 

でも、妹の病状が深刻で

どうにも集中して書くことができずにいました。

(Instagramは軽目の投稿なので

できるだけ続けていました)

 

 

過去に私自身が死を考えたことで

人生観が変わりました。

 

そして妹を見送ることになり

改めて自分の使命について

考えました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

例え明日死んでも後悔しないために

いい人生だったと思えるように

 

その想いから50歳を目前にして

私は好きな着物を生涯の仕事として

選びました。

 

 

それまでは女性は自分のことは我慢するもの

という思い込みがありました。

 

私が我慢すれば丸くおさまる。

 

やりたいことはあるけれど

家庭に迷惑がかかるし

こんなことをやりたいなんて

言えない。

 

それよりも過去は自分のやりたいことなんて

考えたこともありませんでした。

 

あなたはいかがですか?

 

 

私は一般企業のサラリーマン時代に

辛くて辛くて自分を責めて

何度も死にたいと思っていました。

 

後から気づいたのですが、

パワハラを受けていたんです。

 

 

当事者の私はそんなことも気づかずに

言いたいことが言えない自分を責め、

 

一生懸命がんばっているのに

仕事ができないと言われた自分を責め、

毎日下を向いていました。

 

 

性格を変えたいとカウンセリングを受け

先生から衝撃の言葉をいただきました。

 

「あなたは悪くない。

悪いのは二人の上司です。」

 

 

そこから少しずつ自分の意識も変わり、

退職することを決め、

退職後はどうやって生きていこうか、

と考えた結果が

好きなことを仕事にしよう!

でした。

 

 

好きなことってなんだろうと

頭を巡らせた結果、

着物だったんです。

 

 

それから数年後の現在に至ります。

 

 

私は着物を通して女性を輝かせたい

という想いから起業し、

 

ゼロからの起業経験から

教室を開きたいけれど

何から始めたらいいのか

わからない、

という過去の私と同じ想いの方を

サポートしています。

 

 

少し妹の話をさせてください。

 

4歳違いの妹は53歳。

昨年末に体の不調を感じていたそうで

お正月明けに連絡が来ました。

 

仕事もしていたので

無理をしないで

早くお医者さんに診てもらうように伝えると

すぐにクリニックに行ったそうです。

 

大きな病院を紹介されましたが、

コロナの影響や担当医師の予約状況から

すぐには診察してもらえず

診察日を待っている間に

痛みに堪えきれず

自分で救急車を呼び入院しました。

 

 

手術が必要でしたが、

すぐにはできず

手術を受けたのが1月27日でした。

 

この時には検査で子宮と卵巣に癌があり、

すでに肺にも転移していて

ステージⅣbの診断でした。

 

 

手術は無事に終わり、

経過がよければ数日後に退院し、

体の回復を待って化学療法をする予定でした。

 

 

しかし、不調は続き、

薬(モルヒネ系の痛み止めだと思います)

との相性が合わず、

食事も摂れない状態に。

 

 

この状況下、面会は一切禁止なので、

家族とも会えない日が続き

妹は一人で病気と闘っていて

 

家族や友人、私からの励しを受け

病気に負けず、

免疫力を上げてガンをやっつけようと

前向きにがんばっていました。

 

 

婦人科検診を3年くらいしていなかったことが

発見を遅らせたと思ったのでしょう。

 

病床から私や友人たちに

「検診してね。

保険も入ってる?」

と連絡をくれていました。

 

 

病理診断の結果、

やっと病名が判明しましたが、

希少な癌で

お医者さんも見たこともないスピードで

進行していたそうです。

 

 

この時、

数週間から数ヶ月と余命宣告をされたと

妹から聞きました。

 

 

そして

義弟と話をして

私が死んだら両親と同じお墓に入りたいと・・・

 

 

それまでは割と明るく話をしてましたが、

お墓の話になると泣いてました。

 

私も泣いて・・・

でも、まだ希望をもっていました。

奇跡を信じて。

 

 

癌で半年の余命宣告を受けても

元気になられたサバイバーの方が

たくさんいらっしゃいます。

 

そのことを妹に伝えると

「そうだよね!

私もサバイバーになる!」

と元気になろうと

闘っていました。

 

 

私は、妹が死んじゃうかもしれない

というマイナスの感情を

できるだけ消したくて

 

妹が元気になったら

一緒に着物で出かけたり

私の仕事を手伝ってもらうなど

プラスのイメージをしてみたり・・・

 

 

天国の両親と祖父母に

「まだしっちゃん(妹)を

迎えに来ないでね。

早く元気になるように見守ってください」

と毎日祈ってました。

 

 

できる限り何か治る方法はないかと調べたり

自然療法に詳しい薬剤師の友人に

アドバイスをいただいて妹に伝えたり、

 

少しでも免疫力が上がるようにと

びわ茶や琵琶のサプリ、繭のサプリを

買っておいて

繭の枕もプレゼントしました。

 

もう、藁にもすがる思いでした。

 

 

余命宣告を受けたあと

化学療法はリスクが高く

お医者さんからはお勧めできない

ということで

3月1日の退院後は自宅療養することになり、

義弟は介護休暇をとって

在宅で妹の介護をしてくれることに

なりました。

 

 

退院翌日に会いに行くと

思ったより元気そうで

癌の症状でうつらうつらしながらも

話をしてくれました。

 

 

でも、ますます病状は悪化し、

水腎症を発症し再度入院。

 

腎ろうの処置をしていただきましたが、

水腎症が寿命を縮めたそうで

お医者さんから義弟には余命1週間と宣告され

妹にはそこまで話せなかったと・・・

 

 

退院し自宅療養に戻ると

早いうちに静岡に住んでいる叔父にも

会わせたくて一緒に会いにいきました。

 

 

7日にも電話で話して

元気な声を聞いていました。

 

 

9日早朝、義弟からの電話で

容態があまり良くないと聞き

その日の午後に会いに行く途中、

義弟が訪問医から

「今日、もって明日」

と伝えられたと連絡がありました。

 

 

そして、その夜、

家族と親しい友人に見守られて

最後のひと呼吸まで

がんばって生き抜き

安らかに息を引き取りました。

 

 

訪問介護士さんがエンゼルケアを

してくださって

私もシャンプーと

お化粧をしてあげました。

 

 

その晩は久しぶりに妹の隣で

休みましたが

これが最後になってしまいました。

 

 

 

私が悔やんだのは、

妹に着物を着せてあげたり

教えたりできなかったこと。

 

 

いつか教えてね、

と言われていたけれど

いつか

は永遠になくなってしまいました。


 

 

妹も結婚するときに

着物を何枚か誂えてもらっていて

その中に泥大島がありました。

 

私は見ていないのですが、

本人曰く

「一度も袖を通してなくてしつけがついたままだけど

可愛い柄なんだよ」

と言っていましたが、

とうとう着られないまま

天国へ旅立ってしまいました。

 

 

 

妹を励ますのに

元気になったらやりたいことを

ノートに書き出してね、

と伝えていました。

 

 

私が奄美大島に行った後だったので

一緒に奄美大島に行こうね、

奄美大島で泥大島を着ようね、

とも話していました。

 

 

亡くなった後、

そのノートを見つけ、開いたら

 

着物を着て食事に行く

姉ちゃんと奄美大島に行って泥大島を着る

 

と書いてあって

やりたいことを叶えてあげられなかった・・・

と悔やんだんです。

 

 

コロナ禍で仕事が忙しく

頼まれるとイヤと言えない妹は

人の分も手伝ってあげていたそう。

 

家族のために働いて

家事もして

やりたいことも我慢して

無理を重ねていたのでしょうね。

 

 

妹の願いは叶いませんでしたが、

その分、私は妹の分まで

がんばって生きていきます。

 

そして、

着物を着て自分に自信をつけたい方

好きなことで自分の教室を開着たい方

のお役に立ちたい

と、さらに強く思っています。

 

 

妹が退院後自宅ケアに入り、

葬儀を終えるまで

プライベートの予定や

家でやる仕事は潰れましたが、

 

不思議なことに

レッスンや外部との仕事関係の

スケジュールには影響がありませんでした。

 

 

きっと妹が応援してくれているのだと

思っています。

 

 

 

妹の死を通し、

私が伝えたいことは

 

自分を犠牲にして我慢しないこと

 

自分を大切にすること

 

好きなこと、やりたいことは

我慢しないでやってみること

 

死ぬときに後悔しない生き方をすること

 

いい人生だったと思えること

 

この想いが少しでもあなたのお役に立てたら

嬉しいです。

 

 

 

妹の通夜と葬儀には

結婚するときに母が誂えてくれた

黒紋付きの喪の装いで

参列しました。

 

 

 

 

 

 

きものLifeプロデューサー 
星 君枝

プロフィールはこちら

 

着付け師

着物スタイリスト

パーソナル着物スタイリスト

きものパーソナルカラリスト

上野潤子式アップップメソッド協会認定インストラクター

横浜ビューティー&ブライダル専門学校 元着付け講師

大島紬プレミアムアンバサダー

 

 

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