私は吉備舞に携わるようになって、40年近くが経ちます。


幼い頃に祖母の強い願いでお稽古が始まり、祭典時には必ず奉納(舞を神様にお供えする)し、本部広前でも幾度となくその機会を頂いて、子どもを授かってからは指導者にもならせていただきました。


小さい頃は祖母が喜んでくれるからと舞い、思春期にはやめたくなり、学生になり他に楽しいことができお稽古は優先事項から遠くなり、自分の進路、教会の師弟であることや家族のことや、さまざまなことに悩みに悩み、それでもどんな時でもただ無心にでも続けていたのは吉備舞だけでした。


そんな中で色々うまく行かなくなり、自分の生き方につまずいて死にそうになり、もうどうしようもなくなった時に、私は自分の信心の師匠である「先生」と出会いました。


先生のお取次をいただく中で、天地の道理、神様の愛情、本当の信心というものを教えていただいて、死の淵にいたところから救っていただいた私はやっと、幼い頃から欲しかった答えと出会えたという気持ちでした。


欲しかった答え、それはずっと自分をダメだダメだと思って生きてきたのに、そんな自分のことでもかわいいのだと、丸々受け入れて愛してくださる存在、それがこの天地金乃神様だということ。そのことを改めて教えてくださったのがお取次。


小さい頃からずっとそうだったらいいなとは思っていた神様が(当時は神様を怖いとか恐れる気持ちの方が強かった)実は自分が思う以上に圧倒的な愛と許容を持って、自分のことを大切に思ってくださっていて、そして助けようとして下さっていた、優しい神様であったこと。


それを知り、お取次をいただく中でおかげをいただき心から救われたことにより、私の中で、これまでただなんとなく誰かのためにとお稽古してきた舞の意味が、大きく変わりました。



そんなまだ学生だったある時、ある地方で大きな古典芸術祭のイベントがあるから、吉備舞の舞人として出てほしいという依頼がありました。テレビが来るとか、布教になるとか強く勧められましたが、その時私の心に浮かんだのは、お結界に座られ人を助けられる先生の姿。そしてすぐに断りました。


例えそれで金光教の名を広められたとしても、例えそれで吉備舞が知られるようになったとしても、どれほど意味があるのだろうか。第一、布教とは先生のようにもっと地味で地道なもののはず。それに私は一体その場所でどこに向かい誰に見せるために舞うのだろうか。大人たちに都合よく踊らされるために稽古を積んできたわけじゃない。死にかけていた私を唯一助けて下さった天地金乃神様に、お礼の気持ちとしてお供えをするためだけに、自分の身体も、ここまでの経験も、使うのでなければ自分の命が納得しない。


「それはそれ、これはこれ」と割り切れるほど器用な器もなく、それ以来ずっと、ご祭典の日に御神前で神様にお供えするためだけに、お稽古を続けてきました。


ただし教師になったら本分ではないからやめようと決め、学院入学後は離れたにも関わらず、今度は指導者という形でまた手元に舞い戻ってきて、教える子どもたちも次々と現れ、不思議ですが私のここまでの人生で吉備舞が離れることがありません。そして金光教教師の私にとっては、吉備舞指導もお取次の一環だと感じています。


幼い舞人たちが、誰かのために踊らされるのではなく、自分の心で神様にお供えするために舞うことができますように。それを見た人たちも、ありがたいなあと感じて下さったり、日頃の神様へのお礼の気持ちがより一層厚くなれますように。そこからたくさんの愛情を感じられますように。


そしてやはりこの御道の文化でもある吉備舞が末長く続いていってくれることも願っています。それは人が助かることと、信心が続いていくことと、同時なんだろうとも思います。そしてお稽古が辛かった時もあったけれど、今では吉備舞と私を繋げてくださった今は亡き祖母にもとても感謝をしています。



信心せよ。信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ。神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし。

カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火がともらず。

火がともらねば夜は闇なり。

信心なければ世界が闇なり。


【理解Ⅲ 金光教祖御理解21-2】