教会という少し特殊な場所で生まれ育つと、「人の死」というものに触れる機会が、昔から人より少し多くありました。
そしてその時に思ってきたのが、人は生まれた時には何一つ持たずに裸で生まれてきて、そして去る時も、何一つ持たずに逝くんだなということです。
生きてる間に一生懸命積み上げた、それこそお金も地位や名誉や人の世界では多くの人が目指してすごく羨まれるものも、その時が来たら誰であろうと関係なく、全て強制的に手放させられて、置いていかなければならず、そしてその時はいつ来るのかなんて、誰もがわからない。突然来るかもしれない。
生まれた瞬間必要とするのは温もりという愛でありますが、ではこのいざあの世に何一つ持って行かずに出発する時に、思うことは何なのだろう、ということを考えていたことがありました。
子ども時代にぼんやりと思っていたのは、生きているうちにしっかりと信心して、できるだけ神様のお側に行ける切符(徳)を手にして安心しておくことなんだろうなぁ、ということでした。
最近はこれに追加して思うのが、たくさんの愛をいただいてきたのだから、それ以上に自分はたくさんの愛を返せたか、ということです。
それは自分の生きた上で非常に重要なことになるのではないかと思いました。もしもそれができず、もしも自分の欲望に取り憑かれて行動し、世のため人のためになることよりも何よりも、自分、自分、で生きてしまった場合、逝く直前に激しく虚しくなるだろう、激しく後悔するだろう、何の為にせっかくたった一つの命をいただいて生きていたのか、自分を責めるんだろうなと思います。私のたましいは、本当はそんなことのために生きたかったわけではないはずだ、と、きっとその時にはもう遅いのに、そんなことを思うんだろうなと思いました。
そう思うと、今の今、生かされているということそのものがチャンスであり、自分の生き方を今一度見直す機会があるということが、ありがたく思います。
その機会を無駄にすることなく、目の前の欲や楽に安易に飛びつくことなく、今の今お世話になっている存在に少しでも少しでも喜んでいただけるような生き方をしていきたいと、改めて思わされるのです。