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miemove-思考のプロセスー

とにかく書くんだと決めた私のブログ。エッセイと詩と評論と。

心底疲れたとき
最初に思う

世界で一番
大変な私

疲れすぎたのは
わたしだけ

苦しすぎるのは
わたしだけ

どうしたんだろ
わけわからん

こうなったのは
ここに来てから

いやまてよ
私は悪くない

まわりのせいだ
きっとそうだ

いい人ばかりなら
つかれないのに

周りが悪いから
心底疲れる

きっとそうだ
そうにきまってる

まわりのせいだ
そう思っても

気が晴れない
疲れまくり

疲れすぎて
休みたい

休んでみたら
ちょっとわかった

わかったことは
ただひとつ

理由は沢山
山ほどあっても

たったひとつ
本当はね

こうしてほしい
あぁしてほしい

してほしいのに
してくれない

してほしいこと
見つめたら

あぁそうか
そうだったのか

こんなんに
ふりまわされて

びっくりだ
本当に

してほしいって
思うほど

たいしたこと無い
たわいもないこと

満たされなくても
どうってことない

いわゆる
エゴというもの

エゴは
気持ちを奪ってく

ちょっとこわい
そんなもの

でもあるさ
そういうものよ

あるんだから
しょうがない

エゴでも良いさ
もってていいさ

でも疲れたら
ちょっとポイッとね

してしまおう
そうしよう

してほしいのは
よくわかる

だってね
してほしいもの

でもしてほしさに
窮屈になるのは

つらいから
ちょっとポイッとね

したほうがいい
それがいい

そしてみんな
そうやって

笑っておはよう
いっている

心地よい風
あびている



イタイという意味を

うまくいえないけれど

イタイ人はいる

「あの人イタイよね?」というと

うんうん、とノリノリになる。


イタイとは

みんなの共通語。

でも、うまく説明できない。

例えばこんな人。


カップルの会話に割ってはいる人


レジで並んでいるのに割ってはいる人


勝手に好かれていると思っている人


たいしたことがないことを自慢する人


全部イタイ。

KYも私語になりつつあるがそんな人。


じゃ、イタイ人をみている自分は

果たしてイタイないのか?


イタイだろうと思う。


自分が知らないだけで。


イタイ人は

自分がイタイなんて思わない。

でも、イタイことって

知らないうちにやっちゃうから

イタイんだと思う。


イタイって言う瞬間は

イタイ人にならなくて済むんだけど

イタイと言われる方はもう逃げられない。


イタイという言葉は

この社会の中で逃げ場がない

人格発見マシーンなのだ。


やわらかさのない言葉の怖さ

これが「イタイ」なのだ


あなたはイタイ人ですか?








小説を書こうと決めた33歳の夏。

決めてからというものの

小説指南書を5冊6冊読んだ辺りから

あれ?同じことを言っているな、という点がわかってきました。


その内容をリストアップしてみます。


超単純に小説を書く方法


第一に心理描写・景色描写のディテールに気をつけてね。

第二に初心者は一人称単数で書こうね。

第三に小説を読まないで書くなんてナンセンス。

     沢山読んだ本に比例して良い文章が書ける。

第四に、「小説で書きたいことがある」


というものでした。

天賦の才能は必要ない、書くことがだいじなのだ

ただルールは守ってね、小説はもちろん読んでいるのね?

という問いかけも多かった。


特に第四については

例えば、自分は日常のふとした喜びをおもしろおかしく書きたい

そのために小説家になりたい!という思いが必要だということ。


ただ、売れたいからだとか、かっこよさそうだからとか

小説を書きたい以外の利害が絡むと

よくないし、今は良くても小説を書き続けることが出来ない。

ということらしい。


なるほど。


そして、小説を書きたいと思う熱は冷めていった・・・


なぜなら、私は小説を読まないし書いたことがないからだ。

では、何故小説を書こうと思ったのか。

大好きな詩を書くために、そのステップとして小説を書いて

詩を読んでもらいたい、そう思ったからである。


私は詩を書くのは好きだが、ストーリーのある小説は

妄想をほとんどしない私には全く浮かばない。

詩が書けるからといって、小説が書ける、というわけではないことがわかった。


つまり「小説を書きたい以外の利害」が絡んでいたため

小説を書きたいという情熱がそもそも小さかったため

小説指南書を読むたびに情熱に水をかけるようなものだった


一度、何かをしたいと思ったら

とりあえずやってみることをおすすめする。

やってみるという行動そのものがリトマス紙的な役割を

もって、私の情熱をはかるのかもしれない。


とほほ






zipfmをきいて、たまらない一曲。
探してみたらあったので、アップします。

先月のフジロックにもでていたというアーティスト!
ロイクソップと読むそうです。
ノルウェーのアーティストで
ある評価によると「無機質でクールなビート」だそうです。

言い当てている!

たった今、この時間の単位、一秒コンマ点・・・・・


刹那な時間を刻む音さえ

うっとうしいくらいにピンと張り詰めて

息さえ出来ない筋肉の硬直も

汗ばんで揺れてしまいそうだ


空の向こうのもっと向こう側にある

光年という単位でしか距離が測れないところに

ふわりと粒子の拡散が縦横無尽に織りなされ

色という概念さえも超えていって


そうやって存在している月・太陽は

人智の及ばない歴史だけで崇高な存在になる


神という存在は分からないが

太陽も月も宇宙も瞬く光も

今の科学技術に遠く及ばない偉大な存在である事実に

ただただひれ伏すしかない。

私の確かな事実がこれである。






知らなかった。ちょうどyou tubeをネットサーフィン的に
見ていたら、大江千里の曲で知らない曲があった!!

それも98年に発売されている曲じゃないの?!
11年も前に出された曲、信じられない。

それもかなりくせになる曲じゃない?!

今になってブーム訪れたり。


大江千里  「そばにいるきみのために」



今さらな話を一つ。

高校の時につきあってた人が
大江千里のチケットで誘ってくれたんだけど
もう好きじゃなくなっていたから断ったんです。

あぁ断らなければ良かった。
本物を一度見ておきたかったな。
もうNYにいっちゃったもんね。とほほ。

本当にすごい。

全米オープンに繰り出して早4年で

優勝しちゃうなんて。


ゴルフのコラムでも、藍ちゃんのスランプについて

書かれていたから、大丈夫かなと思っていたら

本当にすばらしい。


感動をありがとう!


沖縄の東村出身で

あんなドがつく田舎から

羽ばたいて

ついには全米オープンで優勝だなんて。

優勝を決める前に、一端空振りをして

それから入れちゃったっていうんだから

本当にすごい。


自分の失敗にうろたえず

すぐ気持ちを切り替えて次に生かすという

それも沢山のギャラリーが一挙手一投足を

張り詰める空気で見ている中でのことですから

すさまじい精神力です。


この精神力ってどこからくるんでしょう。


周りの励ましと沢山のパワーをもらって出来たことだと思います。

決して彼女だけの力ではないと思います。


本当にすごい。語彙不足ですみません。


同郷人として誇りに思って良いですか?


あぁ嬉しいな。






大江千里が好きです。

もう事務所を辞めて、今はNY在住の大江千里さん。



今はブログでしか近況をしれませんが

私は彼の曲が好きです。



大江千里を聞くようになったのは

大分時間が経ってからで、高校生の頃でした。

小学生の頃から好きな渡辺美里さんの楽曲を提供した

アーティストの一人が大江千里さんだったので

その流れで聞くようになり、今じゃ渡辺美里さんより

大江千里さんの曲を聴くことが多いです。



彼の歌詞を聴いたら、作詞をしたくなって

毎日詩を作って、自己満足に浸っていたことを思い出しました。

本当によく詩を書いていたな、と思う。

当時の高校生は、まだ「ブルセラ」という世界も訪れることなく

ルーズソックスがはやる1年前に卒業した世代で

まだ女子高生がちやほやされていない時代だった。



そのおかげで世間の雑音にさらされることなく

自分の世界を楽しめたと思う。



そういう思い出の一頁に大江千里さんがいるんですね。



私のなつかし話はこれくらいにしておいて。

大江千里さんの曲で元気になる曲をお送りします。

かなりわかくてびっくりする映像です。まだ声量がある時期の音楽です。]

大江千里さん YOU



昔はむさぼるように曲を聴いて

まるで呼吸をするように音楽を聴いていたが

最近は新曲も面白くないし

ビビっとくる音楽に出会えなかった。



ところが、まさに今日。

出会ってしまった。

久しぶりに鳥肌の歌唱力と

出会ってしまった。





清水翔太さん [美しき日々よ」

弱冠20歳の新鋭。若い子なのにこんな素敵な詩が書けるなんて

世の中捨てたもんじゃない!

すばらしい!

良い歌詞です。



私は沖縄生まれ、沖縄育ち。


時々、県外にも住んでいたけど

私のDNAのほとんどが

沖縄の文化、血統、芸術、文学などで出来ています。

もちろん、沖縄以外のことも知っているので

沖縄の良さも悪さも知っています。


清濁併せ呑んで、今の自分が出来ています。

だからこそ、沖縄が愛おしいわけです。


そんな折、急遽久々に沖縄に帰ったところ

現状の沖縄を見てびっくり!


那覇市の中心地が、散らかっていたんです。


そう、散らかっていたんです。

それ以外の表現が思い当たりません。


主人にそれを伝えたら、うんそうだった、と同感。


散らかっているというのは

景観が汚れているとは全く異なります。


沖縄の人たちが

沖縄以外の何かを意識しながら

できあがった風景にしか思えなかった。

つまりは、足場がふらついている風景

この土地で生み出されるものが枯渇した状態。


何だろう、うまくいえないけど

私が訪れた那覇市は

散らかっていて、枯渇していて、疲れていた。

迷走?というか、いったい何がしたいんだ、沖縄!と

肩をビシバシ叩いてやりたい!そんな感じです。


沖縄が沖縄らしさを忘れてしまって

観光地としての立場で

消費の対象でしかなくなっていた。

崇高な誇りなどこれっぽっちもなかった。


たぶん、いわゆる「沖縄らしさ」を保っていては

観光産業として成り立たないと思う人たちが

増えたんだろうな、と思う。


ここにホテルをたてて、ここにお店を集めて

集客数を増やすために、必死で働いて

サトウキビ畑を更地にして

大きなジャスコかサンエーを作って

供給するモノだけが沢山増えていって

沖縄の人ももちろん

移住した県外の人たちも

もうひたすら頑張ったんでしょうね。

もっといいものをもっとたくさん作っていこうって。


「沖縄らしさを味わいたい」と沖縄を訪れた人に対して

沖縄らしさよりもかっこいい沖縄を見せよう!

という姿勢では、観光産業は成り立ちません。


今の沖縄はイメージとしては、中学生の男子が

色気づいて、髪をワックスで固めて

俺ってかっこいいだろう?と良いながら

体つきは、まだまだ子供で、部活とか勉強とか本業そっちのけで

ただただ「ええかっこしー」をしたい、未熟なボーイ

という感じ。意味分かるかな?


変わることが悪いわけではないけど

変わっていくのに、良い方向ではないから心配です。

町並みの風景が、沖縄の自然を排除した中で

観光客におもねるような、安っぽい商品を陳列し

本来の沖縄らしさ(ここでいうらしさは時間のゆったりした

のどかな風景)を追いやってしまった。


別に観光客が悪いのではないと思います。

そういう表面的なことではない、

沖縄のもっと根っこの所で

沖縄の文化や慣習や人とのつながりだとか

そういう根っこの部分が絶やされている気がします。


今の沖縄は

観光客に対してもある意味失礼な印象を受けます。


あぁなんであーなっちゃんたんだろう。


私が小さい頃に住んでいた頃の沖縄は

もうどこにあるんだろう?


あの頃に戻りたいなんて

回帰的に物思いにふけるのは簡単ですが

本当に、あの頃の沖縄に

ゆったりとした時間が流れる沖縄になってほしいな

うちなータイムがなくなっちゃうような雰囲気なんて

沖縄に似合わないと思います。


もう周りと比較しながら

沖縄らしさを見失わないで欲しいと思う。

かっこよさだとか、美しさだとか

精神性を重んじる文化

岡本太郎が「有形文化財のない珍しいところ」と言わしめた文化は

形に表さずとも、心で通い合うことの大切さを知っているからこそだと思う。


何かを作る力も大切だけど

目に見えないモノをとらえられる心を持つ懐の深さこそ

これから先の見えない世界を生き抜く力だと思う。


もう雑音に翻弄されなくても良いと思う。

どうか、沖縄らしさを見失わないで欲しいと思うのです。

沖縄にいない私が言うのは、変だけど

遠いからこそ見えることを

こうやって声を大にして言うことが

私のほんのちょっと出来ることです。

ほんのちょっとのちょっとだけど(笑)


最近、仕事でお客さんで沖縄の人と会った。


沖縄のイントネーションが心の旋律に響いて

もうたまらなかった。本当にぐっときた。


初めてあった人なのに、本当に友達にあった気がした。

あぁこれだ、私が生きた世界ではこういう人が沢山いた。

表面だけ繕うのではない、ソウルから話しかけてくれて

うれしかった。あの感触、懐かしいな。


私は自分の夢が

どうしても県外ではないと出来ないことだから

時々帰ることしかできないけれど

どうか帰れる場所として、沖縄が沖縄らしさに

誇りを持てますように。そう願うしかない。