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みぃみぃの徒然ブログ

  
  ヴァンフォーレ甲府のネタをメインにつづるブログ。

  ヴァンフォーレ以外には写真、自転車、TRPG、サッカー、ビリヤードなどなどを徒然なるままに気ままに書いております。

  このブログは「みぃみぃ」と「みや~ん」と「がるふぉ」が管理しております。

お見舞いにいってきた。
今日から個室に移動した。
夜一人で寝かすのは寂しくて可哀想なので泊まれるときは姉が付き添いすることに。

ステロイドも開始。
ステロイドが効いてるのか、今日は起きていて会話もそれなりにまともに出来た。話す気力もあるみたい。
さりげなく家の事を色々と聞く。
たまに要領は得ないけど。

元気が出てきたからと言って家に帰れるような話をしていたが、先が随分と限られていることは本人も悟っていると思う。
随分と痩せた。


父も一回くらいお見舞いにつれていかなければ、生きているうちに会えないかな?と思って、父にお見舞いにいくかどうか聞いてみる。

返事は「行ってもいい」と、どうでもいい返事だった。
わかってはいたけど、散々母に辛酸を舐めさせてきたのに、最後まで他人事である。

連れていくのもばからしいが、明日連れていくことにする。
日付を考えるのが面倒になってきたので日付で。

検査結果で肺炎もあるとの事。
薬が落ち着いたのか、眠気が収まり昼間も起き出しているようだが、まだらボケみたいな、せん妄状態との事。
意思の疎通はちょっと難しいみたい。
熱も39度近く不安定なのは変わらない。


子供たちで実家近くの病院に転院するかどうか相談する。
母がここの医師とは長年の付き合いでとても信頼してること。
転院で混乱してしまいそうなこと。
近所の病院では姉が働いているので都合が良いかと思う人もいるけれど、そこには緩和ケア専門のチームがなく、一番詳しいのが姉になってしまうため、看護師であろうとするために家族になりきれず、また負担も大きくなってしまうので、やめた方が良いとのアドバイスをもらう。
下の姉が介護休暇がとれるかもしれない。
などの様々な理由により、今の病院で最後まで過ごすことを決め、担当医に伝えた。
この場合自分はお見舞いに行ける回数が数回になってしまうが、仕方がないと思うことにする。
6日目
9/13日曜日。
遠方から親類のおばさんがお見舞いに来るということで、今日もお見舞いに行こうと思ったが、腰痛が酷く身体も重かったので、お見舞いは諦めて家のことをする。
行けないことはないけど仕事休んでしまうことになりそうだし。


7日目
9/14月曜日。
姉の話では珍しく起きていた模様。
ただ認知症っぽい症状になっており、意思の疎通は難しい模様で、いきなり怒り出すことも多いとのこと。

外来で長年面倒を見てくれた先生が訪問に来てくれた(入院主治医は別)。
このままこの病院にいるか、地元の病院に移るかは好きにしていいとのこと。
母の望むままに…と思うけど、話ができるのかと言うのと、意思の疏通が出来ても判断を任せるのは酷なことかな。
家族でもどうしたら良いのか決められるかどうか。
地元の病院だったら会社を早くあがらせて貰えば平日でも少し顔を出せるかな。
4日目
姉が二人ともお見舞いに行ってくれてる。
二人とも忙しいし、特に長女は家から遠いのに頑張ってくれている。
検査をしたところ、骨にも転移が見られ肋骨と背骨にとんでいるということ。
ほとんど寝ていたが起きたときは意識は割りと明瞭だった模様。
薬の微調整を繰り返す日々。



5日目
入院後初の土日ということでお見舞いに行けた。
ほとんど寝ていて起きても意識がはっきりとせず、会話は出来なかった。
薬のせいもあるが5日でこうも変わってしまうのか。
口からの薬も口を開けたり飲み込むことがむずかしく、看護師さんも難儀しているようだった。
食事はおろか水分を取ることも難しい。

母は会話もが難しく、こちらに気がついてるのかも分からないが、一瞬わたしの名前をしゃべった気がする。
覚えてないか分からないけど、一瞬でも認識してくれたのかな。

この状態ではお見舞いに来るのも意味があるのか分からないけど、明日も体がもてばお見舞いに来る予定。

親戚のおばちゃんも来てくれるそうだ。


姉とは家の事を色々話さなければならないが、落ち着かない限り今は難しいかな。
三日目。
見舞いに行った姉の話では良く寝ているそうだ。
看護師さんの話によれば夜も寝れているそう。
薬の影響みたい。
寝ている間は痛みは感じないから、仕方ないけど良いことなのかな。

トイレに行くのがだんだん厳しくなってきたもよう。
腹水が目に見えて急激に増えてきたので、下着がはけなくなったのでおむつの準備をすることに。

明日は検査があるので、骨に転移しているのか分かるかもしれない。
末期癌の母の入院記録。
あまり人に見せるものではありませんので、嫌なものを見たくない人、苦手な方はそっと閉じてください。






母が痛みを訴えだし、ここ一週間でみるみる弱っていくので、姉と二人でお医者さん連れていった。
今年に入ってから一気に肝臓癌の進行が進み、もう手の施しようが無いと言われていたので、もう帰ってこれないかもしれないと思いながら。

案の定、問診で即入院となった。

そのまま血液検査、エコー、レントゲンをとる。
先生から話があると言うことで母を病室に寝かせたまま先生の話を聞くことに。

検査の結果では相当厳しい状況で1か月どうかと言うこと。
いつ破裂してもおかしくないとのことを聞く。
入院中は緩和ケアがメイン(治療は無理なので、せめて痛みを和らげて最後を…と言うこと)で、医療麻薬を使っていくとのこと。
幸いここの病院は専門の緩和ケアチームがある。
ただ実家から車で一時間と言うことで遠いので、痛みを和らげて落ち着いたら、姉の勤める近所の病院に転院することも視野に入れるが、最終的には本人の意思だからどうなるかは分からない。

早速1日目から麻薬の使用を開始。
病室に戻ると母は疲れたのか寝ていたので、その間に入院に必要なものを買い出しに行く。

戻ってくると起きていた。
薬のおかげか痛みはだいぶやわらいだそう。


あとからもう一人の姉が駆けつけるのでこの日は任せて帰ることに。



自宅に帰って入院に必要なものを準備すると共に、父に母のことを説明する。
普段は病人の母をいじめ苦労を倍増させている父だが、表情はかたくなっていた。
だが特になにも言わなかった。

家の引き継ぎと言うか、母の年金や口座、保険、家の事、電気やガスのやりとりなどを父に聞いてみるが、全て「知らない」とのこと。

もう長くはないと口頭で伝えてきたけど、母のことと今後のことを全く考えてない父の事は呆れたと言うより、「やっぱり」と言う感じだった。


母にはもちろん予後のことは話していないので、家の引き継ぎの事なんて話し出すのは悟られてしまうし、酷すぎる。
元気なうちに家族集まってしっかりと話しておくんだった。
みんな忙しいからと言うのがあったけど、現実を受け止めるのが難しかったのかもしれない。

これからの事を考えなければ行けないが、どうしたら良いのか分からない。


今年の冬は越せないと思ってはいたけれど、実際に先生から余命を聞くとさすがに堪えた。
先生や姉の前だし泣くのは堪えたけど、まだ考えると涙が出てきてしまう。

子供が3人いることは救い。
一人っ子だったらどうにもならなくなっていたとおもう。
これは母に感謝しなければ。


父に話したあと、お風呂場でシャワーを浴びながら泣く。




2日目
見舞いにいったもう一人の姉から連絡が入る。
初日の薬の効きが悪く痛み止を増やしたとのこと。
痛みでひとりで立てないらしく、熱も38度近い。

先生からは1か月かどうかといわれたが、この1週間の悪化ぶりから今月もつかどうかな予感がする。


母の痛みの訴えの内容をネットで調べたら、確かに末期の肝臓癌の症状と一致していた。
肝臓のある身体の右側の激しい痛み。右肩にも関連痛がある。

もっと早く親身に話を聞いたり調べたりすれば、1週間も痛みを我慢させることもなかったのにと悔やむが、今考えても仕方がない。

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