「急いだら間に合います。」

京都駅改札の駅員さんが珍しく女性。その京都弁のトーンが

「おいそぎやす。」

とやわらかな涼風のように聞こえた。

ホームに上がったと同時に博多行きの新幹線が入る。競争するように自由席五号車に走った。

乗り込んだ車内は夏休みの子供連れで満杯。頼みの新大阪でも、人の動きは全くなく、立ちん坊は増える一方だ。その中を、物売りのワゴン車が通る。身を縮めて座席の方に体をよける。

その座席の二人連れのOL

「どちらまで。」と気軽に声をかけてくれた。

「博多まで。」「あら、それは大変ですね。」

真夏陽に気負い咲きたる大輪の

    白き芙蓉の芯天へ向く

「私たち、山口まで、研修で東京からの帰りです。」

二人ひそひそと話していたが、

「代わり合って座りますから、どうぞ。」とひとりが立ち上がった。

御好意に甘えたいのはやまやまなれど、それでは余りにも虫がよすぎる。

「いえいえ」極力お断りしたが、私のキャスターの荷物を、つうっと席の方に入れてしまった。窓際には、ほっそりした、小学三、四年の男の子が凭れて眠っている。

「それでは・・・・・すみません。」

私はその男の子の側に座ると、座席の区切りの腰掛を、カタン、カタンと二つともはね上げた。

「ぼく、ごめんなさいね。」とその子の席に体をよせた。そして二人に声をかけた。

「窮屈ですけど、どうぞ座れますよ。」

三人掛けの座席に、ちゃんと、四人座れた。

「おかげ様で助かりました。坊やもありがとう。」

「ディズニーランドが楽しかったです。」

「浦安は孫たちがいたので、私も何度かいきましたのよ。」

小一時間、岡山で小学生は降りた。

郡山が近づくと、二人は大きな黒いバックを、軽々と肩に引っかけて、

「また忙しい勤めに戻ります。お元気で・・・・・。」とにこにこ挨拶してくれた。

・・・・・あなた達、やさしいよいお嫁さんになって、きっと幸せになれますよ・・・・・

出かかった言葉を押し込んで、出口に進む二人に、心から、ありがとう、と手を振った。

平成元年夏の爽やかな思い出だった。

      平成一年九月七日

黒の似合うお嬢さんだった。

年賀状にも、黒のファッションで、ぴしっと決めたスタイルの写真は、どの賀状よりも目に止まったという。

華やぎの衣装ひかえて平成と

    改まりたる今日の初釜

「お正月は黒一色では淋しいよね・・・・・。」

それが虫の知らせだったのか、1月の六日、友達の運転する車の助手席で、彼女は交通事故にあった。

柩の中の親友の顔を見た時「あのひとじゃない。」と娘さんは騒いだらしい。

「手術のせいだったのでしょう。」

松石さんからこの話を聞いたのは、十日過ぎであった。

横浜から帰ってきた息子家族と、私は七日の日、その道を唐津の鏡山に向かって走った。

二丈町のカーブのある道端に、花束が供えられているのを見た。

「事故だな。」息子は慎重に運転した。

右手に見る久しぶりの玄界灘は、薄く濃く藍色にうねり、白く砕けては砂浜に蒼くざわめく。

コートを脱ぎ、カーディガンを取り、子供たちは半袖になる車内だった。四月、一年生になる姉のノンちゃんは「きれいねーきれいねー」と走る窓に顔をくっつけていた。

「新潟の冬の海は、なぜか黒ずんでいて、ひとを引き込む暗さがあるんです。九州の海は、明るい!」

新潟育ちの嫁の久美子さんがいった。

鏡山は、青雲につつまれていた。佐用姫を詠んだ山上憶良の碑のあたり、冬枯れの原っぱは格好の芝生で、よちよち歩きの哲君は、つんのめるようにして日差しの中をはしゃぎ廻った。転んでもただでは起きない。すかさず目の前の松ぼっくりを拾っては投げる。かいじゅう(怪獣)とは、よくぞつけた。あだ名である。

お姉ちゃんに負けじと、缶ジュースを一本ストーローでごっくんごっくん呑んでしまう。お母さんの丼のうどんの半分は膝にのっかった、ぼくの口に、ちゅる、ちゅると入っていく。

「すごいなァ。」はじき返されそうなほっぺをついても、男は度胸、とにこりともしない。

からからと鐘打ちふりぬ佐用姫を

     祭る朱色の小さきやしろ

おみくじは中吉と吉

   なみなみとさされし

        朱盃一気に干しぬ

前歯四本で一生懸命でもぐもぐしている顔は、なんとも可愛いかいじゅう君である。思わず抱き上げようとしたら、ずっしりとお尻が重くて抱き上げられなかった。

展望台は、さすがに風が冷たく強かった。方向盤のN印に向いて、ノンちゃんを包むようにして立った。

虹の松原、姫島、あれが鳥帽子島灯台。壱岐は霞んで見えなかった。

ノンちゃんの小さな体のぬくもりが、くるんだ私のコートの中で、私の体温と一しょになった。

「海外旅行に出かけて、飛行機事故で死ぬのが私の理想。」

帰りの車でつい喋った。

「おい、おい、僕たち、二、三日うち飛行機に乗るんだよ。」

「あ、いけない。ごめん。あなた達は大丈夫、大丈夫よ。」

九日夜、息子から電話があった。

「無事着きました。目下ちびたちは食事中。世話になりました。又帰ります。」

ノンちゃん達の匂いの残る部屋には、冬の日差しが今日もいっぱいに差しこんでいる。

         平成三年一月十七日

二回目の手紙である。一回目の時は、見慣れぬ書体に急いで封書を返した。礼子さんのご主人からである。驚いた。

喉頭癌の手術六回。声をなくされてから七、八年。八十歳はとうに過ぎている。

コツ、コツ、コツ。

私の電話を、受話器を叩いて受けて下さったあの感激の音は、今も私の心を満たす。

月に一度は新聞の短い随筆欄に名前が出る。この間の『あけび』の文は楽しかった。

“軽業師の真似しないで!落ちたらどうします”

紅葉を降らす黄櫨の大木。途中まで登り、絡んだ蔓を手繰って、やっと採ったあけびだった。どうだ旨いか?

“素敵な甘さですよ。でもパパに悪いですね。”

二人の和やかなやりとりが、目に見えるようだった。

たまたま私も、市場で求めたあけびを、お茶の料理で、山のものに使った直後だった。

熟れていなかったせいか、輪切りにした白い果肉には、仁丹の様な小さな種がやたら多く、旨くなかった。でも、懐かしい、と茶席では好評であった。

随筆の感想と礼子さんにお葉書した。そのお返しが、一通目だった。

西部劇ならぬ、ガンマンでして、体調がよいと、“あけび”のようなことをしては叱られています・・・・・。

二通目のこの手紙は、茶色の封筒に、四角なピンクの小箱が入っている。まずお手紙拝見。挨拶抜きの簡単な文面である。

お好みの色柄やサイズなど、知る由もなきほどに・・・・・。

私へのプレゼントであることは確かだ。この大きさからいくと、指輪かな?

色柄?・・・・・真珠、オパール、赤さんご?サイズ?・・・・・九ではちょっと大きめだけど。

箱から、白い柔い布がのぞいている。丁寧に引き出す。ワッ。そのものずばりのホワイトパンティーだ。お色気のピンクの小花も跳んでいる。

手紙の隅に、

二伸。十四日のホワイトデーに届けばと、礼子とは当然、共謀者 中尾生。

ダイヤよりも、オパールよりも一番身につける温かいプレゼント。礼子様にはわるいけど、不倫の男性出現に、人生ばら色です。ありがとうございました。明日から息子の所へ出かけます。ご無理なきよう、御元気で。

共謀者 中尾御夫妻様

小箱を納めた東京行きのかばんを提げて、私は空港のポストに手紙を入れた。